2017年10月19日
荒神に登場する怪獣が、シン・ゴジラの元ネタ(第二形態の蒲田くん)だったと聞きつけ、読んでみた。
感想を簡単に。
改めて思ったのは宮部みゆきの文章力のスゴさ。
これこそ文章でしか味わえない描写だよなあ。
関ヶ原の戦いから100年後の福島あたりを舞台に、人の業によって生み出された怪獣を描く。
やはり原発事故が頭によぎるが、説教臭さは微塵もなく、極上のエンターテイメントにまで昇華させている。
ラストに怪獣が悪魔合体ならぬ悪魔天使合体を果たし、最終形態となるのだが、これがまあ「神々しい」なんてもんじゃない。「神」の降臨の瞬間に立ち会っているようで、ありがたい気持ちで読ませていただいた。「幼年期の終わり」のラストに感じた眩しさがあった。
NHKが2018年1月か2月放送予定で撮影が進んでいるようだけど、いやこれ無理だろ。
http://www6.nhk.or.jp/nhkpr/post/original.html?i=10290
2017年09月02日
小川哲という才能を、信頼して良かった。
伊藤計劃以後という時代は
本作の刊行によって幕を閉じると、
自信をもって宣言したい。
ありがとう。
塩澤快浩(SFマガジン編集長)
本屋で物色していたところに、
帯の文言が飛び込んできた。
上巻を手に取りパラパラ読んでみる。
舞台は1956年カンボジア。
第二次世界大戦後に独立を果たしたが、
国は貧しく、警察も政治家も不正が蔓延していた時代。
サロト・サルー後にポル・ポトと呼ばれる男の
隠し子とされるソリヤという名の少女と
天賦の智性を持って産まれたムイタック少年の物語。
SF要素が一切見当たらなかったが、
さらさらと流れる読みやすい文章に惹かれて購入。
直感を信じて良かった。
こりゃとんでもない傑作だぞ。
昨日まで許されていたことが
翌日には重罪とされるかもしれない。
昨日までの友と、今日殺し合わなければならない。
権力者が作った不条理なルールに染められた世界で
勝つためには、生き抜くためには、ルールを支配する
権力者にまで登りつめなくてはならない。
上巻は、そんなディストピア世界の中で
反旗を翻そうと必死にもがくソリヤとムイタック
そしてその周囲の者たちが丁寧に描かれていく。
何もかもが不条理な世界は、時に受け入れ難く
おそらくは途中で物語を閉じてしまう者もいるだろう。
ポル・ポトでググってみるといい。
嘘みたいな世界が、つい数十年前まで
この地球上に存在していたのだ。
上巻では、はっきりと示されはしないものの
どこかの地点をピークに世界がガラリと変わる
そんな予感をうっすら感じるはずだ。
狂った不条理な現実描写に
突如として現れるマジックリアリズム。
さっきまで顔をしかめながら読んでいたのに
次の瞬間にはゲラゲラ笑ってしまう。
また顔をしかめる。
繰り返し。
例えばこんな村人に。
シヴァ・プクー通称「泥」
泥の父は畑に穴を掘り、そこに陰茎を挿入して
マスターベーションをするのが習慣だった。
父はその穴を聖域(サンクチュアリ)と呼び
1日も休まず射精し続けた。
フランスとタイの紛争が勃発、戦闘が始まったが、
それでも構わず畑で射精を試みた。
しかし敢え無くフランス軍に拘束されてしまう。
長い戦闘が終わり、拘束が解かれた日に
股間を膨らませてサンクチュアリへ向かうと
戦闘でボコボコになった畑の中心、
いつも陰茎を挿入していた穴から
赤ん坊が顔を出していた。
それがシヴァ・プクー通称「泥」だった。
泥の特殊能力は、土を食って土と会話ができる。
土を食うだけで、どこを開墾すべきか、
肥料はどれだけ必要かなどがわかるのだ。
しょーもない。
日々、不条理な虐殺が繰り返されている世界で
実にしょーもない特殊能力を持った者が登場する。
他にも輪ゴムと会話が出来る者。
輪ゴムが切れると誰かが死ぬのが分かる。
「不正」を見つけると勃起する者。
北北東、900M先に不正発見!って…。
ポル・ポト政権下の暗い世界に悪ふざけ。
しかしこれが全体的に、非常に効いている。
これ、SFなんだよな。
どこかでピークに達して、壮大な転換を迎える気だな。
きつい物語を進めているのに、奥底でワクワク感が
じんわりと湧き上がっていく。
下巻に入ってからがスゴい。
時代は飛んで2023年。
近未来。
一気にSFへと駆け上がっていく。
何かを説明したがっているポーズばかりで
何も説明していないのは自分でもわかってるが
得体の知れない食べ物を半ば強引に勧められて
それがクソ旨かった時の快感、分かるでしょ?
スゴいから。
ただ、読んでほしい。
2017年07月08日
隆 慶一郎のデビュー作。
「影武者徳川家康」http://takushi.blog.jp/archives/52081751.htmlの世界観が気に入ったので、続けて「吉原御免状」を読んでみたが、これまたのたうち回るほど面白かった。61歳にして小説家デビューというのもすごい話だが、デビュー作にしてこれだけクオリティの高い小説を書けるなんて。徳川家康級の怪物じゃないか。
話は、まだ幼いうちに宮本武蔵に拾われ、山の中で育てられた松永誠一郎の物語だ。師である宮本武蔵からの遺言は25歳まで山を出てはならぬ、そして26歳になったら山を出て江戸へ行き、吉原の庄司甚右衛門を訊ねよ、であった。吉原に着いた誠一郎を迎えたのは、百挺をこえる三味線が奏でる清搔(すががき)の音色。月明かりだけが頼りの暗い夜道の先に、華やかな灯りと音色に包まれた吉原のそれはなんと煌びやかなことか。
着く間もなく誠一郎は謎の影に襲われる。何やら「神君御免状」を渡せとわけのわからぬことを言う。この「神君御免状」が、物語を思いも寄らぬ意外な方向へと向かわせる。どうやら徳川家康が江戸開府にあたって庄司甚右衛門に与えたらしい御免状だとわかってくる。それを奪いたがっている影は裏柳生だということがわかってくる。そして裏柳生を動かしているのは二代将軍徳川秀忠だとわかってくる。
謎に包まれた吉原の闇の歴史を紐解いていくと、ついには徳川家康影武者説へと繋がっていくのだ。これが実にお見事。文化的考察も素晴らしく、勉強にもなる。
松永誠一郎の生誕の秘密が解かれる頃には、読者をすっかり江戸時代に引きずりこむ怪物のような小説だ。
松岡正剛の千夜千冊http://1000ya.isis.ne.jp/0169.htmlでも、「明日にでも読み始めることを「千夜千冊」の読者にもなんとしてでも強要しておくことにする」と言っているように、本好きはすぐにでも読んだ方がいい。
僕は吉原に惚れた。
今からちょっと吉原行ってくる。
2017年05月14日
2014年1月に『「シャンタラム」より面白い本ってあるの?』(http://takushi.blog.jp/archives/51979195.html)と書いてから、3年の時を経てついに、アンサーとなる本に出会った。
あるぞっ!
とびっきりの極上エンタメ小説が。
度が過ぎるこの面白さはもはや暴力だ。
トンデモ仮説の小説だなんて舐めてかかるとガツンとやられる。家康は関ヶ原以前と関ヶ原以後で大きく変貌している。自分の子どもに対して冷酷な男が、以後には子どもを溺愛する。熟女好きだったのが、以後はロリコン。まるで人が変わったかのように。
そして謎の行動。
なぜ関ヶ原の戦いのあと即座に征夷大将軍に就任しなかったのか。
渇望していたはずなのに三年もわざわざ引き伸ばした理由は何か。
征夷大将軍に就任したあと、なぜわずか2年で秀忠に職を譲ったのか。
そのあとなぜ秀忠と対立する形となったのか。
大御所となってからは駿府の町に入った家康。
安倍川を曲げて西に壁を作り、東の箱根山に守られた難攻不落の駿府城を築いたのはなぜか。周囲は徳川譜代の武将ばかりなのにだ。
年貢米はなぜ江戸に集めず、駿府に集めさせたのか。
清水港を拡大し、貿易許可である朱印状は駿府でしか発行しなかった。江戸ではなく、駿府を国の中心にしようとしていたのは間違いない。
そして最大の謎は家康最後の敵ともいえる大坂の豊臣家と、終始和解に努めていたのはなぜか。そして大阪冬の陣での家康とは思えない乱暴で強引な作戦はほんとうに家康の立てた策なのか。
他にもあるのだが、これら正史の不可思議な点を「家康は関ヶ原の戦いで暗殺されていた!そこから大坂の陣で豊臣家を滅ぼすまで家康は影武者でした!」というピースをはめることで、見事に完成させている。史実を都合よく改変するなり、隠すなりすれば自由な物語を紡ぐことも可能だろうが、隆慶一郎のスゴいのは史実でもって影武者説を裏打ちしている点にある。
まぁそうは言っても家康が影武者だった証拠などひとつも残ってはいない。これが真実だ!だなんて熱をあげているわけではない。ただ純粋に、ひたすらに面白いのだ。家康(二郎三郎)の夢に男としてしびれたのだ。
男なら、見果てぬ夢を見るだろう。
自由を追い求めた一人の男の物語に、必ずや心を奪われるはずだ。あなたも見果てぬ夢の途中だろう。夢の途中に読んでおけ。
そして、これより面白い本を誰か教えてください。
あるぞっ!
とびっきりの極上エンタメ小説が。
度が過ぎるこの面白さはもはや暴力だ。
「影武者徳川家康」
慶長五年関ヶ原。家康は島左近配下の武田忍びに暗殺された! 家康の死が洩れると士気に影響する。このいくさに敗れては徳川家による天下統一もない。徳川陣営は苦肉の策として、影武者・世良田二郎三郎を家康に仕立てた。しかし、この影武者、只者ではなかった。かつて一向一揆で信長を射った「いくさ人」であり、十年の影武者生活で家康の兵法や思考法まで身につけていたのだ……。-amazon内容紹介より引用
トンデモ仮説の小説だなんて舐めてかかるとガツンとやられる。家康は関ヶ原以前と関ヶ原以後で大きく変貌している。自分の子どもに対して冷酷な男が、以後には子どもを溺愛する。熟女好きだったのが、以後はロリコン。まるで人が変わったかのように。
そして謎の行動。
なぜ関ヶ原の戦いのあと即座に征夷大将軍に就任しなかったのか。
渇望していたはずなのに三年もわざわざ引き伸ばした理由は何か。
征夷大将軍に就任したあと、なぜわずか2年で秀忠に職を譲ったのか。
そのあとなぜ秀忠と対立する形となったのか。
大御所となってからは駿府の町に入った家康。
安倍川を曲げて西に壁を作り、東の箱根山に守られた難攻不落の駿府城を築いたのはなぜか。周囲は徳川譜代の武将ばかりなのにだ。
年貢米はなぜ江戸に集めず、駿府に集めさせたのか。
清水港を拡大し、貿易許可である朱印状は駿府でしか発行しなかった。江戸ではなく、駿府を国の中心にしようとしていたのは間違いない。
そして最大の謎は家康最後の敵ともいえる大坂の豊臣家と、終始和解に努めていたのはなぜか。そして大阪冬の陣での家康とは思えない乱暴で強引な作戦はほんとうに家康の立てた策なのか。
他にもあるのだが、これら正史の不可思議な点を「家康は関ヶ原の戦いで暗殺されていた!そこから大坂の陣で豊臣家を滅ぼすまで家康は影武者でした!」というピースをはめることで、見事に完成させている。史実を都合よく改変するなり、隠すなりすれば自由な物語を紡ぐことも可能だろうが、隆慶一郎のスゴいのは史実でもって影武者説を裏打ちしている点にある。
まぁそうは言っても家康が影武者だった証拠などひとつも残ってはいない。これが真実だ!だなんて熱をあげているわけではない。ただ純粋に、ひたすらに面白いのだ。家康(二郎三郎)の夢に男としてしびれたのだ。
男なら、見果てぬ夢を見るだろう。
自由を追い求めた一人の男の物語に、必ずや心を奪われるはずだ。あなたも見果てぬ夢の途中だろう。夢の途中に読んでおけ。
幼き者たちが、いわば贅沢に、平和を使い捨てる背景に、老いたる「いくさ人」たちの無形の努力がある。彼等がその事に全く気付かないことが、逆に老いた「いくさ人」の誇りになるのだ。誰に知られることなく、何によっても酬いられることのない仕事のために、一命を賭けて来た男たちの誇りとは、それほどささやかなものなのだ。
そして、これより面白い本を誰か教えてください。
2017年03月26日
「おまえは相手の鼻を殴った。そいつが前かがみになった。そうしたら、あとはそいつが立ち上がれなくなるまで、ひたすら殴りつづけろ。敵が何人だろうと、おまえは負けない。相手がひとりでも、ふたりでも、三人でも関係ない。これはな…熊のダンスだ、レオ。いちばんでかい熊を狙って、そいつの鼻面を殴ってやれば、ほかの連中はみんな逃げ出す。ステップを踏んで、殴る。ステップを踏んで、殴る!そいつのまわりでステップを踏んで、パンチを命中させる。たいしたパンチに見えなくても、何度もやられれば相手は疲れてくる。混乱して、不安になってくる。そこにおまえがまた次の一撃を食らわせる。ちゃんとステップを踏んで、ちゃんとパンチを命中させれば、おまえは熊にだって勝てる!」
冒頭の引用文は父親から息子レオへの教訓だ。
これは、暴力の権化ともいえる父親に育てられた三兄弟の物語。家族と、暴力と、絆の物語。
三兄弟が狙うのは軍の武器庫。バッグの中にはプラスチック爆弾、m/46。ペンスリット86%、鉱物油14%の割合で混合した爆薬、1つの塊が40g。それを12個。2.5mの導爆線を爆薬に蛇のように這わせてダクトテープで固定する。12時から1時へ。1時から2時へ、ぐるりと円を描き、12時に戻ってくると、そこで短い尻尾をもたげる。そこへ着火する。合計480gの爆薬によって、武器庫の扉はひらく。
軍用銃221挺、弾倉864個。中隊2つ分に相当する武器。
そんな大量の武器を盗み出した三兄弟の目的は、史上例のない銀行強盗。
ステップを踏んで、殴る。ステップを踏んで、殴る。
繊細に、大胆に。警察の鼻面めがけ、繰り出す暴力。
これは熊のダンスだ。
犯行の描写も、心理描写も、細部が非常にリアルだ。
それもそのはず。これは事実に基づいた小説なのだから。
この小説はアンデシュ・ルースルンドとステファン・トゥンベリの共著。そしてステファン・トゥンベリは、小説に登場する三兄弟と、血の繋がった実の兄弟だ。つまり現実では、四兄弟だった。ステファンは当時、兄弟が銀行強盗を計画していることは知ってはいたが、参加はしなかった。スウェーデンでは家族が犯罪に手を染めていることを通報しなくても、罪には問われない。
スウェーデンは現金使用率5%に満たないキャッシュレス社会として注目を集めている。銀行にさえ現金はほとんどないのだとか。なるほど、キャッシュレス社会を実現できたのは、それなりの理由があるのだと、妙に納得してしまった。
上下巻あわせて1100頁を超える大作だが、時間をかけて読む価値のある一冊だ。
大胆な犯行に、そして家族の絆に震えろ。
2017年01月29日
はじめて読んだピエール・ルメートルは
「その女アレックス」
2014年に読んだBest10のうちの1冊に選んだ。
http://takushi.blog.jp/archives/52013331.html
「その女アレックス」はヴェルーヴェン警部シリーズの2作目にあたり、「悲しみのイレーヌ」の続編ではあるのだが、前作を読まずとも支障はない。単体作品としても十分に楽しめる。実際のところ、先に翻訳されたのは「その女アレックス」(2014年)が先で、アレックスが国内のミステリー賞を総なめに出来たからこそ「悲しみのイレーヌ」(2015年)が刊行された。
しかし、支障はないというのは嘘になる。
支障はある。
あった。
結局「悲しみのイレーヌ」を読むはめになり、その後さらに「その女アレックス」を再読することになったのだから。
そして、支障とは「再読」のことではなく、ピエール・ルメートル仕掛けの中毒患者となってしまうことだ。
当然、読者はピエール・ルメートルが提供する情報だけを頼りに、物語の全体像を編みあげてゆく。ピエール・ルメートルは、時には無慈悲に、時にはサービス旺盛に、情報提供の量を完璧に制御しながら読者を導いてゆく。悲劇的な結末を予感しながら。そして、悲劇の瞬間を待ちわびている心に震えながら。
最初の写真は2017年1月現在翻訳済みのピエール・ルメートル全5タイトル。2016年10月に「傷だらけのカミーユ」が刊行され、ヴェルーヴェン警部シリーズ3部作は完結となった。しかし、他にもヴェルーヴェン警部の中編2作が未翻訳となっている。すでに翻訳作業に入っているのか、既刊の売れ行きを見つつ検討中かは分からないが、次のピエール・ルメートルを読む日が待ち遠しい。
未読の方は「悲しみのイレーヌ」から是非。
総員、衝撃に備えよ。
2017年01月13日
去年のリオオリンピック開催期間に、オリンピックに関連した本でも読もうと思いたって出会った本です。
ボートの知識はゼロですが、十分に面白かった!
30年代アメリカの生活がいかに厳しいものだったのか、また、ヒトラーがオリンピックをプロバガンダに利用していたドイツ政権がいかに厳しいものだったのかがよくわかる本でした。
貧しい暮らしの中で、必死に生きる若者たちが、ボートに夢を乗せて進んでいく姿がとても美しく描かれていて、知識が全くなくてもボート競技の素晴らしさを味わえます。
原題は「THE BOYS IN THE BOAT」。
かっこいいなぁ。
分厚い本なので多少時間がかかりますが、重厚なノンフィクションを欲している人には是非お勧めしたい作品です。
ボートの知識はゼロですが、十分に面白かった!
30年代アメリカの生活がいかに厳しいものだったのか、また、ヒトラーがオリンピックをプロバガンダに利用していたドイツ政権がいかに厳しいものだったのかがよくわかる本でした。
貧しい暮らしの中で、必死に生きる若者たちが、ボートに夢を乗せて進んでいく姿がとても美しく描かれていて、知識が全くなくてもボート競技の素晴らしさを味わえます。
原題は「THE BOYS IN THE BOAT」。
かっこいいなぁ。
分厚い本なので多少時間がかかりますが、重厚なノンフィクションを欲している人には是非お勧めしたい作品です。