2017年05月14日

2014年1月に『「シャンタラム」より面白い本ってあるの?』(http://takushi.blog.jp/archives/51979195.html)と書いてから、3年の時を経てついに、アンサーとなる本に出会った。

あるぞっ!
とびっきりの極上エンタメ小説が。
度が過ぎるこの面白さはもはや暴力だ。

影武者徳川家康
慶長五年関ヶ原。家康は島左近配下の武田忍びに暗殺された! 家康の死が洩れると士気に影響する。このいくさに敗れては徳川家による天下統一もない。徳川陣営は苦肉の策として、影武者・世良田二郎三郎を家康に仕立てた。しかし、この影武者、只者ではなかった。かつて一向一揆で信長を射った「いくさ人」であり、十年の影武者生活で家康の兵法や思考法まで身につけていたのだ……。-amazon内容紹介より引用









トンデモ仮説の小説だなんて舐めてかかるとガツンとやられる。家康は関ヶ原以前と関ヶ原以後で大きく変貌している。自分の子どもに対して冷酷な男が、以後には子どもを溺愛する。熟女好きだったのが、以後はロリコン。まるで人が変わったかのように。

そして謎の行動。
なぜ関ヶ原の戦いのあと即座に征夷大将軍に就任しなかったのか。

渇望していたはずなのに三年もわざわざ引き伸ばした理由は何か。

征夷大将軍に就任したあと、なぜわずか2年で秀忠に職を譲ったのか。

そのあとなぜ秀忠と対立する形となったのか。

大御所となってからは駿府の町に入った家康。
安倍川を曲げて西に壁を作り、東の箱根山に守られた難攻不落の駿府城を築いたのはなぜか。周囲は徳川譜代の武将ばかりなのにだ。

年貢米はなぜ江戸に集めず、駿府に集めさせたのか。

清水港を拡大し、貿易許可である朱印状は駿府でしか発行しなかった。江戸ではなく、駿府を国の中心にしようとしていたのは間違いない。

そして最大の謎は家康最後の敵ともいえる大坂の豊臣家と、終始和解に努めていたのはなぜか。そして大阪冬の陣での家康とは思えない乱暴で強引な作戦はほんとうに家康の立てた策なのか。

他にもあるのだが、これら正史の不可思議な点を「家康は関ヶ原の戦いで暗殺されていた!そこから大坂の陣で豊臣家を滅ぼすまで家康は影武者でした!」というピースをはめることで、見事に完成させている。史実を都合よく改変するなり、隠すなりすれば自由な物語を紡ぐことも可能だろうが、隆慶一郎のスゴいのは史実でもって影武者説を裏打ちしている点にある。

まぁそうは言っても家康が影武者だった証拠などひとつも残ってはいない。これが真実だ!だなんて熱をあげているわけではない。ただ純粋に、ひたすらに面白いのだ。家康(二郎三郎)の夢に男としてしびれたのだ。

男なら、見果てぬ夢を見るだろう。

自由を追い求めた一人の男の物語に、必ずや心を奪われるはずだ。あなたも見果てぬ夢の途中だろう。夢の途中に読んでおけ。

幼き者たちが、いわば贅沢に、平和を使い捨てる背景に、老いたる「いくさ人」たちの無形の努力がある。彼等がその事に全く気付かないことが、逆に老いた「いくさ人」の誇りになるのだ。誰に知られることなく、何によっても酬いられることのない仕事のために、一命を賭けて来た男たちの誇りとは、それほどささやかなものなのだ。



そして、これより面白い本を誰か教えてください。

座頭魄市orejiru at 00:23│コメント(0)トラックバック(0) │ このエントリーをはてなブックマークに追加

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