2014年04月22日

2010年7月30日。
大阪のワンルームマンションで3歳の女の子と1歳8ヶ月の男の子が、変わり果てた姿で発見された大阪二児置き去り死事件。

子どもたちはクーラーのついていない真夏の部屋で、ゴミに埋もれて、折り重なるように亡くなっていた。遺体は腐敗し、一部白骨化していた。部屋は中から出られないよう外側から粘着テープが貼られ、さらに南京錠で強化されていた。冷蔵庫は扉の内側にまで、汚物まみれの幼い手の跡が残されていた。

容疑者の母親はシングルマザーの23歳。マットヘルス店で働く風俗嬢で、子どもを放置したまま何週間にもわたって男の家に入り浸っていた。わが子の死を目の当たりにした日、わずか数分でその部屋をあとにすると、男友達に電話をし、そのままドライブに出掛け、観覧車の写真をブログにアップし、ホテルでセックスをした。




当時マスコミがこぞってこの事件を取り上げていました。僕の息子が当時2歳だったのですが、かわいい盛りの無邪気な息子の姿を見ているから余計に、なぜこんな小さな子どもを放っておけるんだろうかと、心が痛んだのを覚えています。

ネットの反応は、彼女に対する誹謗中傷がほとんどだったと記憶しています。写真もネット上に多く出回り、どことなく「セックスが好きそうな顔」にみられる外見も誘い水となったんじゃないかと思います。

僕は、彼女がどんな両親の元で育ったのかがずっと気になっていました。生まれつきの「ネグレスト」なんて存在しないはずだし、彼女を「ネグレスト」にしてしまった決定的なポイントがあるはずだと。

でもそんな単純に分析できる問題じゃないんですよね。

むしろ本人が悪いだとか、両親が悪いだとか、元夫が悪い、行政が悪い、友人が悪い、そんな風にどこかに押し付けてしまえるような単純な問題であれば、気持ちのやり場があるだけ僕も楽だったかもしれません。けれど彼女の周囲に悪の根源となる異常者はいなくて、むしろ父親なんて僕なんかよりもよっぽど「人格者」なんですよね。

読後、こんなに「やり場のない」思いを抱えてしまうとは思いもしませんでした。答えは見つかると思ってましたから。

昨年2013年、彼女は懲役30年の刑が確定しました。

僕は、懲役30年の刑に不服があります。この判決は彼女に「殺意」があったと下した内容です。彼女の行動と言動をそのように判断した「社会システム」に僕は絶望しました。彼女に責任がないとは思いません。育児を放棄した罪は重い。でも。

母親が他の男と不倫の末に、その男との生活を選んだことで、彼女はどれだけ傷ついたんだろう。

十分な愛情を受け取ることも出来ないまま、高校教師である立派な父親に、「正しさ」ばかりを求められた彼女はどれだけ辛かっただろう。

彼女は過ちを犯している。真面目ないい夫と出会えたはずなのに、他の男性と関係を持ってしまった。でも、その過ちによって夫は彼女を「いなかったこと」にして突き放した。自業自得と言えばそれまでかもしれないけれども、彼女の生い立ちを知ってしまうと、どうにもやるせない気持ちになります。

彼女はこの本を読んだことがあるだろうか。
彼女に届けたい一冊。
たった一冊の本で、彼女は救われるとは思わないけれども、可能性はゼロではないはず。



「自分の問題を他人のせいにしてはならない」という主張はもちろん正しい。だが、それをそのまま幼い子どもに当てはめることはできない。自分を守るすべを知らない子どもだった時に大人からされたことに対して、あなたに責任はないのである。

彼女を罰するよりも愛する社会になってほしい。
育児を放棄した罪の償いは、愛に満たされた彼女の中から自然に発生するはずだから。

座頭魄市orejiru at 19:55│コメント(0)トラックバック(0) │ このエントリーをはてなブックマークに追加

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