2013年10月14日

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【ストーリー】
申し分のない学歴や仕事、良き家庭を、自分の力で勝ち取ってきた良多(福山雅治)。順風満帆な人生を歩んできたが、ある日、6年間大切に育ててきた息子が病院内で他人の子どもと取り違えられていたことが判明する。血縁か、これまで過ごしてきた時間かという葛藤の中で、それぞれの家族が苦悩し……。

【感想】
池袋サンシャインシティで鑑賞。感想の前に映画館での反応を書いておきます。レイトショーで観たのですが観客は40人弱ってとこで、男女比はきれいに半々。カップル、単身の男性、女性2人組がほとんど。僕は前方に座っていてエンドロールの後明るくなってから席を立ち、帰ろうと後ろを振り向くと全員女性が号泣していたんですよね。人目もはばからず顔をくしゃくしゃにして涙を流しておりました。ほんとに女性全員ですよ。これはちょっとスゴいぞと。ちょっとした事件だぞと感じましたね。結婚もしていて、子を育てた(育てている)経験をお持ちの方ならね、まあ分かるんですけど明らかにまだおつきあい始めたばかりでレイトショーのあとにまずは子作りからって感じの女性でさえボロボロ涙こぼしててね、女性視点でこの映画を観た完成度というのはその涙が全てを物語っていましたね。

一方男性の反応はというと窮地に追い込まれたかのように思い詰めた表情でね、放心状態なわけですよ。カップルの若い男性はオロオロしてたけれど、単身男性はこれもまたスゴい光景でありました。これから詳しく書いていきますがわたしもまた心にグッサグサ棘が刺さりまして、その棘の抜けぬまま帰宅することになってしまったのです。

良太(福山雅治)の家族構成は妻と1人の男の子。小学生入学を控えた6歳。都内にマンションを購入していて自家用車は新車のレクサス。部屋のインテリアが若干見劣りするのと洋服に高級感を感じないところから察すると推定年収800万円で背伸びをした暮らしをしたがるタイプ。でも順風満帆な人生を送っているいい男なわけです。イケメンですし、女性からすれば理想そのものって感じですよ。もちろんピアノも弾けちゃいますよね、当然ですよ。そして子どももピアノのお稽古。映画はそんな良太の子どもが私立小学校のお受験をするところから始まります。先生方の質問にもハキハキと答える優等生っぷりで、育ちの良さが見て取れるんです。良太が意識高い系の学歴主義なのが暮らしに現れています。
一方斎木(リリーフランキー)の家族構成は妻と3人の子ども。場所の設定はさいたまの奥地でしょうかね。親から継いだであろう電気屋のおっさんでして、珍しく客が入ったかと思えばダラダラ世間話して40Wの電球一個をやっと売るみたいな状況でね、外観ももうペンキ剥げかかってるし建て付け悪そうな家にぎゅうぎゅう詰めに暮らしてるんですよ。自家用兼社用車はいつガタがきてもよさそうな軽トラ。察すると推定年収子ども手当込みの200万円。容姿は岡本太郎にお題「残尿感」と出して作られた粘土細工みたいなもんで「あれ?リリーフランキーのそっくりさんかな」と思わせるみすぼらしい容姿。ポスターとは違ってみえます。

そんな2つの家族の子どもが実は病院のミスで取り違えてたと発覚します。血を取るか、過ごした時間を取るかの選択を迫られるわけです。流れとしては珍しいものでもないですし、この後の(良太の)父親としての葛藤も状況説明で概ね想像ついたかと思います。その想像は概ね当たっています。斎木の家は案の定といいますか放任主義で育てているので言葉遣いやマナーも微妙な、いわゆるクソガキなんですね。妻も煙草ぶかぶか吸うわ子どもの頭をぽかんぽかん叩くわで昭和の肝っ玉「かあちゃん」ばりに、色気も子どもと一緒に出産したわ、ガハハみたいなタイプで。良太からしたら関わりたくない人達なんですよ。そうなりたくないからこれまでずっと頑張ってきたわけでしょ。それなのに自分の(血縁では)本当の子が一番避けたかったクソガキ化してるってのはこれはきついものあるでしょう。

この事実を知らされた良太がね、車の中で悔しそうに一言洩らすんですね。
「やっぱりか…」
男性の方々はね、この一言の重さをもっと知るべきなんですけれども、つい洩らしがちですよね。僕も身に覚えがあってグサッと鈍い痛みが走りました。意識高い系は特にありがちで将来を見据えていろいろ思考を働かせてゆくなかで、その思考の中に“選択はしなかったけれども選択肢としてはあった考え”というのがいくつもあるわけです。不測の事態に立たされると、選択しなかったにも関わらずつい思考の中に一度はあったものだから「やっぱりか…」と口から出てしまうんですよね。

「だからあの病院はやめとけと言ったじゃないか」

と、良太はついに言ってしまうんですね。頭の回転がいいがゆえに陥りやすいわけです。

しまいには
「なんで自分の子なのに気付かなかったんだ」
と問いつめるわけです。

「なんで自分の子なのに気付かなかったんだ」はさすがに特大すぎるブーメランですし、それはないだろうと気付けるレベルですけれども、重要なのはやはり最初の「やっぱりか…」というはじめの思考レベルです。「なんで〜」は血の昇った状態でのただの罵倒で、女性としても「おまえが言うな」と冷静なツッコミを内々に済ませて消化する余地を残してありますが(でも言っちゃだめ、ぜったい)精神的ダメージはそれよりもむしろ「やっぱりか…」という冷静な思考状態から使われやすい言葉の方が大きく、女性には根深く残ってしまうものです。

序盤で「やっぱりか…」という言葉を洩らした良太に観客は違和感を覚え、それから少しづつ良太の未熟な面が見え始めます。当初の結婚したい人の理想像と見た夢から冷めてゆっくりと良太の違和感を進んで探すようになるんですね。是枝監督の技が光ります。

すごく印象的だったシーンがあります。互いの家族が話し合っていく中で、お互いの息子をまずは1日交換してお泊まりして様子をみましょうってなるんです。その初日なんですけどね、良太の家では豪華なすき焼きが用意されるわけですよ。おまえはこんなええ肉食ったことないだろうと言わんばかりに主張するええ肉です。その食卓でですね、良太はなにを考えたのか箸の持ち方を指導するんですね。良太の性格をたったそれだけで表しているわけですよ。はじめてのお泊まりですよ?こんな特別な夜にそこ気になるん?別にええやん。もっともっと見ていたい表情しぐさいっぱいあるやん。でも血縁上では本当の息子なわけで、教育のいたらなさ具合が許せなかったんでしょうね。こういったちっちゃいプライドというのが僕の中にも少なからず潜んでいるわけでして、このシーン1つで棘がグサグサ刺さりました。
一方斎木の家ですよ。狭い風呂に家族揃って膝折り曲げて入ってね、良太の息子も初体験なわけですよ、お肌とお肌が密着した環境というのは。すました顔で入っているんですけれど突如斎木のおっさんがね、じぶんの胸を指差してここを押せ、と。押すと湯船のきったないお湯が斎木のおっさんの口からびゅぅ〜っと顔めがけて飛んでくるんです。もうびっくりしてリアクション取れないでいると斎木のおっさんはもう一度強いるわけです。押せ、と。いいからここを押せ、と。言われるまま押すとやっぱり斎木のおっさんの口から湯が出るんですよ。これをね、笑うまでやる。この対比がね、僕はどちらかというと、いやかなり良太タイプに我が子と向き合ってきたわけでして、鈍痛ですよ鈍痛。
ほんとは斎木のおっさんタイプに生きてきたくせにね、それを棚に上げて良太タイプに接してしまっていたことに気がついたんです。ここでようやくですよ。

父親ってなんだ?

素朴でいて実に難解な問いを観客は自分自身に問い始めるんです。
ここから先はですね、各々が問いかけ、映画を通じて各々が探すんです。ひとつひとつは取り立てることもないような細かい日常の1コマが積み重なり、観客はそこに父親ってなんだ?を探すことになります。映画のなかで良太も一生懸命探します。自分の父に、母に柄でもなく電話なんかしたり。どこかに父親の“正しい”姿を求めてゆくんですね。斎木のおっさんはね、探しもしないですよ。答えを買う金もなければ考える暇すらないんですよ。その対比に微かなヒントが見えてくるのです。

「そして父になる」

子どもが出来た時点で父になると思っていませんでしょうか?
僕は思っていましたね、恥ずかしながら。けれどもそれは違うんですね。
母親は強いもので、子どもを宿して母親となるものです。
女に生まれた時からすでに母親としての素質を持ち準備を整えていくんですよ。
けれども僕ら男ってのは違うんですよ。

父になるために誰しもが通る心の葛藤を、とても丁寧に描いている映画です。
来年小学生になる一人息子をもつ父親である僕は、このタイミングでこの映画を見れたことはとてもラッキーでした。今年一番考えさせられた映画でしたし、他の方にとってもそうなるであろう素晴らしい映画ですので、是非劇場に足を運んでみてはいかがでしょうか。

「そして父になる」★9

座頭魄市orejiru at 09:51│コメント(0)トラックバック(0)映画 │ このエントリーをはてなブックマークに追加

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