2013年08月14日

「ブルーバレンタイン」を観ました。



この映画、受ける精神的ダメージはかなり高いです。【閲覧注意】ですからご注意を。
下手すりゃ吐くレベル。
ダメージを受けやすい区分は次のとおり ※該当なしの場合はダメージ少ない
子もち夫婦>夫婦>カップル(3年以上)>童貞/処女>カップル(3年未満)

先に評価ですが星5★★★★★の素晴らしい映画でした。
映画評論家の町山智浩さんが2011年No.1だ!と絶賛しただけあります。

さて、内容はわたしの大好物でもある破滅型ラブストーリー。

※ネタバレがイヤな方はここから先は読まないでください。
ただネタバレがこの映画の良さを損なうとは思いませんし、むしろ内容を知っていたほうが細かい表現が見えてくるので一層深く考えさせられる映画ですので気にせず書くことにしました。わたしも2回連続で観てしまいましたが2回目の方がはっきりとしましたし、感想も変わってしまう特殊な映画でした。

ストーリー自体は言ってしまえば平々凡々、起伏もなく超がつくほど日常的すぎるお話なのですが、だからこそ!だからこそ誰にでも当てはまるホラーとなってるわけです。
夫婦(男=ディーン 女=シンディ)の離婚に至るまで(現在)の2日間と、出会いから結婚に至るまで(過去)の数週間が交互に流れていき、ラストで離婚の瞬間と結婚の瞬間が絡み付く編集がされています。最高の瞬間と最低の瞬間へ同時に向かっていき、ラストで打ち上がる花火によってバニシングポイントに到着し昇天というわけです。
のっけから現在の空気の重さに身が引き締まります。この映画は決定的な離婚の原因となるポイントがないんですよね。ここがこの映画のポイントになっていまして、誰にでも起こりうる、或いは経験のある、見落としがちな男女のすれ違いを的確に映し続けるんです。これはもう男と女の脳の違いといいますか、生物的に違うものなのでどうにもならない問題ではあるのですが、ゆえにホラーなわけですよ。

ディーンはいい男なんですよ。夢があってロマンチックでやさしくてイケメン。
けれど、ところどころで我の強さがあらわれ、離婚に至る原因の要素を含んでいます。
ところどころで映画を観ながら反省したりするわけです。
シンディはいい女なんですよ。頭が良くて家族思いでかわいい。
けれど、ところどころで女であるがゆえの弱さだったり、曖昧な意志がたっぷり含まれています。
ところどころで観ながら男はイラッ☆とくるわけです。

シンディは曖昧な意志によって(好きかどうかも分からない男とセックスをし)妊娠してしまい路頭に迷います。そして出会ったばかりのディーンに妊娠を告白します。(この妊娠の告白シーンのシンディにはかなりイライラすること間違いなしですが、スルーしておきます)ディーンはそんなシンディを丸ごと受け止め、プロポーズを果たします。一見してディーンの懐の深さは素晴らしいんですよ。出会い一目惚れをしてからずっと真っ直ぐにシンディを見つめ、それは離婚の瞬間までつづいていますし、言い方は悪いですが、自分の子ではない娘を体全体で愛している。それが観ている方からも十分に伝わるんです。けれども、夢があってロマンチックな男の性分なんでしょうか、どこか幼稚なんですよ。それがシンディ目線からはたまらなくムカつくんでしょうね。娘目線では最高の!理想の!パパですよ、テーブルにこぼれたご飯をスプーンも使わず口だけで食べるなんて幼稚なことを一緒にやってくれるんですから。シンディは「スプーンを使いなさい」と娘に注意しますがパパがそんなんだから聞く耳もたずですよね。こうした何気なく繰り返される取り立てるほどでもないかもしれない不一致が積み重なる悲しさに心が痛むんです。

しかしディーンのそんな幼稚さは、結婚前のシンディには必要でした。ロマンチックでやさしい男でなければ惹かれることはなかったでしょう。夢みがちで幼稚さがなければシンディを受け止めてあげられなかったと思います。また、もし出会わなければシングルマザーになる覚悟も決めれずに精神は壊れてしまったでしょう。

出会わなければよかったわけではない。むしろ出会ってお互い救われた。
はずなのにどうして離婚となったのか。



この映画の素晴らしい部分はこのポイントが定まらない点です。
ディーンにもシンディにも問題はあり、観た方はそれぞれが全く違う感想を抱くでしょう。
それを巧みな編集技術とカメラワークで表現をした監督の技術に脱帽します。

まずカメラワーク。
夫婦が揃って映る構図のときでも、ピントが二人同時に合うことがありません。
必ずどちらか一方にしかピントが合っていません。
また、お互いの視線がぶつかることがありません。
必ずどちらか一方は相手をみていません。
これによってなんともいえぬ不協和音が構図から感じられるようになっています。

次に編集技術。
BGMに注目していただきたいのですが、過去の時間軸ではBGMが流れロマンチックな編集がされているのに対し、現在の時間軸ではBGMは使われていません。クーラーの音や車の走る音などの日常的に不快と認識されている音のみで編集されています。
また、現在の時間軸の流れのなかに過去(離婚の原因となりえた可能性のあるふたりの些細な問題点)を差し込むことで現在(離婚に至るまでの2日間)を濃密にしています。



さいごにわたしの結論です。

おんなの「曖昧な意志」の強さを侮るな!



座頭魄市orejiru at 12:22│コメント(0)トラックバック(0)映画 │ このエントリーをはてなブックマークに追加

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