2011年06月03日

節目節目に読み返している漫画があります
荒木飛呂彦の漫画「スティール・ボール・ラン」
特に第ハ巻に登場する人物の「価値」について
その「世界」を読み返す度に深く考えさせられます。


その人物は
リンゴォ・ロードアゲイン

741a326f



リンゴォのスタンド能力は6秒間時を戻せる事
5秒でも7秒でもなく、きっかり6秒
スタンド攻撃を受けた者は、その6秒の記憶は残る

つまり、珈琲を飲んでいる瞬間にスタンド攻撃を受けた場合
味、香り、温度の記憶があるのにもかかわらず
目の前にはいれたての珈琲が置いてある。
ただそれだけ。



リンゴォには流儀がある


「公正な果し合い」
彼は殺人が目的ではない
公正な果し合いを修行とし、
漆黒の意思による殺人に勝利する事
それが精神の成長となるという美学を持つ

「公正な果し合い」のため
自分のスタンド能力について全て話す
自分からは決して攻撃を始めない
相手が攻撃態勢に入った事を確認したのち
攻撃を開始する

自分の能力について説明をし、リンゴォは言う。


これが「男の世界」
…………
反社会的と言いたいか?

今の時代………
価値観が「甘ったれた方向」へ 変わってきてはいるようだがな…


リンゴォが言う「世界」…
そして価値観が「甘ったれた方向」へ向かっているとは…


「世界」は元々一つではなくて「世界」は各々に帰属してます。
「仕事の世界」「趣味の世界」「家族との世界」「友人との世界」

多くの場合「世界」は「価値観」を共有する事で成り立っていて、今の時代は「世界」の細分化が激しく進んでいるのを感じます。
今こうして画面を通して見る「世界」においても、数年前までは一括りに「インターネットの世界」だったけれど、今では「Twitterの世界」「Facebookの世界」といったように棲み分けがされているようにも見えます。匿名や偽名を使い、現実の「世界」と区別して利用する人もいれば、実名で現実の「世界」と区別せず利用する人もいたりして。

次々と誕生する新しい「世界」を自ら選択し、その「世界」を共有する人達が集う。
「インターネットの世界」の話だけではなくて、「仕事の世界」においてもそう。
「友人との世界」も「家族の世界」も……

全ての「世界」に帰属する人に、リンゴォの言葉が刺さります




「お前は『対応者』に過ぎない!!」




正当なる防衛をしてないか

対応者として生きていないか

漆黒の意思はあるか

その覚悟はあるか




リンゴォが漆黒の意思による果し合いに敗れた
その最期の言葉

「社会的な価値観」がある  そして「男の価値」がある
昔は一致していたが その「2つ」は現在では必ずしも一致はしてない
「男」と「社会」は かなりズレた価値観になっている…
だが「真の勝利への道」には「男の価値」が必要だ…
おまえにも それがもう見える筈だ…
ようこそ……「男の世界」へ


リンゴォの言う『漆黒の意思』
頭では理解出来ていても『対応者』から抜け出す事は難しい
ただ『漆黒の意思』がその身に宿れば、必ず道は拓ける。

座頭魄市orejiru at 23:39│コメント(0)トラックバック(0)真理 │ このエントリーをはてなブックマークに追加

トラックバックURL

コメントする

名前
 
  絵文字
 
 
最新記事
記事検索