2009年11月01日

真理とこのマンションで一緒に暮し始めて、十月で一年になる。
2LDKの賃貸マンションで部屋は振り分けタイプとなっているのが気に入って借りた。リビングは10畳あり、二人の共有スペースとして真理のお気に入りのソファーとテーブルがある。大型TVは先月買ったばかりだ。
福島の高校を卒業してすぐに僕は世田谷にアパートを借りて一人暮らしを始めた。
木造のアパートは建てられてから、僕の母親とそう変わらない年月が経っていたけれど、僕にとってそれは大きな問題では無かった。両親と離れ自由に暮らす事、そして僕を知る者がいない場所で暮らす事、それが僕の目的だった。

真理と出会ったのは上京して半年が経とうという頃、友人に誘われて行ったクラブで、僕が慣れない踊りに疲れラウンジでカクテルを飲んでいた時だった。
真理はその僕の姿が動物園のなまけものよりも珍しく愉快だったと今でもたまに思い出しては笑うのだが、当の本人はその日の事をあまり覚えてはいない。
僕はそのラウンジで酷く酔っぱらっていて、隣で休んでいたドイツ人カップルに

「花を与えるのが自然、編んで花輪にするのが芸術だ」

などとゲーテの格言を得意気な顔で言っていたそうだ。ドイツ人カップルは無視するわけでもなく、また相手するわけでもなく周囲に助けを求めていたらしい。
そのドイツ人カップルを助けたのが真理だ。
その出会いの瞬間こそ覚えてはいないけれども、幸いにも真理が僕に言った言葉だけは鮮明に、その口の動きまでもまるでスローモーションのように憶えている。



「私とあなたが出会うのが自然とするならば
私とあなたが結ばれるのは芸術的よね」


そう言うと真理はいたずらな笑顔を僕に見せた。

僕の記憶がはっきりとし始めたのはその夜が明けた朝、早くから開いていた喫茶店からだ。
僕はぼんやりした頭を冷ますために珈琲をブラックで注文した。
ホットミルクを注文した真理に僕は先ほど見せたいたずらな笑顔を重ねてみた
それが僕が真理に恋した瞬間だ。
その日僕は真理に告白をした。
真理は頷いた後、僕にいたずらな笑顔と言葉をくれた。
それからすぐに僕は世田谷のアパートを出て、今のマンションで真理と暮らしはじめた。





あの日、あの瞬間、僕はこの笑顔をいつまでも眺めていたいと願ったはずなのに
今となってはその笑顔も僕を苛立たせる原因にもなっている。
昨日だってそうだ。
何週間も前から今日のサッカーの試合中継を僕はどれだけ楽しみにしていたか
それなのに真理は他のチャンネルの「1ヶ月で確実に成果の出るダイエット法特集」なんて番組を見たいとお願いしてきた。僕が今日の試合は大事な試合なんだと説明すると「試合結果が分かればそれで良くない?」だって。これだから女は嫌いだ。まるで分かってないんだ。
「じゃあ友達ん家で観戦してそのまま泊まってくるよ」
「そぉ?じゃあ楽しんできてね」
真理の笑顔が僕は大嫌いだ。
「ポテトチップス食いながら番組見てるお前にダイエット法を教えてやろうか?
そのポテトチップスをやめろ!」
その後はもう散々だった。喧嘩はよくするけれど、昨日の真理はいつもと違って酷く荒れていた。図星だったからだろう、或いは女の子の日だったか、どちらにせよ僕もむかついているし僕から謝るつもりはない。とりあえず今日は帰って部屋で寝ようと決めた。

家に帰るとリビングのソファーでくつろいでいる真理がいた。
僕が帰ってきても「おかえり」と言わない事からまだ怒っているのが分かる。
あいにく僕も謝る気がないので無視をし、珈琲を作ってソファーに腰をおろした。
腰をおろしてすぐに携帯が鳴った。
着信を見ると以前付き合っていた彼女から。
僕は慌てているのを真理に悟られないようにしながら自分の部屋に向かった。
少しだけ何かに期待しながら掛け直してみると携帯を壊してしまったらしく、共通の友達の奈保子の電話番号を教えて欲しいという用件だけだった。

何かが始まるかもしれない期待をしてしまった自分に馬鹿馬鹿しくなってリビングに戻ると、もう真理は自分の部屋に戻ってしまったようだった。
気まずい空気を吸わなくてすむ事に少しホッとして、ソファーに腰をおろした。
先ほどのコーヒーカップに手を伸ばす。

ブラックコーヒーが入っているはずのコーヒーカップの中身はカフェオレに変わっていた。
そうだ、あの日喫茶店で真理が僕に言った言葉

二人が喧嘩をした時、
仲直りのしるしは二人のこの飲み物を混ぜようよ、
きっと相性はいいはずよ。


コーヒーカップの中のカフェオレをぼんやり眺めてみる。
本当に相性いいのかよ…。
僕はコーヒーカップを口に運んだ


ちょっと眠いけどしょうがない、どっか連れてってやるか



僕は真理の部屋をノックした。

座頭魄市orejiru at 02:50│コメント(0)トラックバック(0)雑記 │ このエントリーをはてなブックマークに追加

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