2014年09月

2014年09月29日

ひとまずの区切りとして、3ヶ月ダイエット終了。
その戦況結果。

〈スタート時〉
身長174.1cm、体重71.4kg、BMI値23.6、体脂肪20%
〈1ヶ月経過〉
身長174.1cm、体重68.4kg、BMI値22.6。体脂肪率16%
〈2ヶ月経過〉
身長174.1cm、体重65.0kg、BMI値21.4。体脂肪率13%
〈3ヶ月経過〉
身長174.1cm、体重64.2kg、BMI値21.1。体脂肪率13%

2ヶ月目まで順調に進んでいたものの、突然体重が全く落ちなくなってしまった。同じメニュー(むしろ筋トレメニューが追加された)にも拘らず。

体脂肪12〜13%あたりに壁があるという話をどこかで読んだ記憶があったので、当初はこれが壁なんだろうと深く考えずにメニューをこなしていたが、2週間過ぎたあたりで心配になり、ネットで検索してみることに。

どうやらこれを「停滞期」と呼ぶらしい。

ニンゲンの体はよく出来たもので、約1ヶ月間のあいだに全体重の5%を失うと、体がそれを飢餓状態と判断して飢餓に備えるようにプログラムされているそうだ。

つまり脂肪を不用意に燃やさないよう肉体が作りかえられてしまう。食べたものをしっかり貯えることが可能になる。

スタート時に71.4kgあった体重が1ヶ月後に68.4kg。
4.2%減。
その後68.4kgあった体重が1ヶ月後に65.0kg。
4.97%減。

測定期間をずらせば、おそらくは5%減の瞬間があったのだと思う。どうやら飢餓プログラムのスイッチをONにしてしまったようだ。

ダイエットの失敗で多いのが、この「停滞期」にかかるストレスに耐えきれずにやけ食いをしたり、運動を中止してしまう場合なのだとか。なるほどたしかにストレスがスゴい。だってこれまでと変わらない日々のなかで、体重が落ちるどころか一時は体脂肪14%に戻るという悪夢が足元の計測器に映し出されるのだから。夢のなかでは家系ラーメンのり増したまごトッピングをおかわりしてしまう始末。

夢精か。

しかしカラクリが分かればなんとかやっていけるもので、歯をくいしばってメニューをこなした結果、ダイエット開始12週目(停滞期4週目)の後半から体重が落ち始め、一時は63kg台に突入した。飢餓状態の誤認識がようやっと解除となったのだ。

しかし無知とは恐ろしいもので、当初の計画では3ヶ月の目標体脂肪率20%から10%減などと、よくもまぁ厚顔無恥な考えができたものだ。実際やってみると今回の「停滞期」のように、ニンゲンには計算でははじき出されることのない特殊な機能が備わっていて、それは度々僕らを驚かせてくれるのだ。

ダイエットが思うようにいかない人は「停滞期」が原因かもしれない。体験してみないとこの時期のストレスのつらさはわからないものだ。体験できただけでも御の字というか、ひとつ賢くなれた。


3ヶ月の区切りが終了したが、今後も目標をかかげて続けていくつもりだ。

体脂肪率6%の武田真治が実践しているメニューにならい、今後は有酸素運動を週2日に減らし、筋トレを各部位ごとにわけて週6日おこない、理想の体を目指していこうと思う。




体脂肪6%のじぶんの肉体を鏡にうつしながら、その鍛え上げられた筋肉をおかずにオナニーをする。

見えたぞ、おれの終着駅。

座頭魄市orejiru at 15:45│コメント(0)トラックバック(0)雑記  | このエントリーをはてなブックマークに追加

2014年09月25日

第11回開高健ノンフィクション賞受賞作品。
第10回開高健ノンフィクション賞受賞作品「エンジェルフライト」感想はこちら
http://takushi.blog.jp/archives/51996958.html



kindle版も出ているようです。




僕は本書を読むまで、ニュースなどで虐待事件などを見るたびに、虐待を受けた子どもたちが無事に保護され、施設や里親に引き取られた時点で「無事に保護されて良かったね」という思いを抱いてました。保護された時点でハッピーエンドを想像してしまっていたんですね。

自分の考えのいたらなさを知ったというか、現実は想像していたハッピーエンドとは程遠いものでした。

虐待を受けた子どもたちは、無事に保護され、預けられるまでが序章であって、それから過酷な現実が待ち受けているんです。


2010年に悲劇的な事件がおこりました。

杉並区里子虐待死事件は、起訴された鈴池静が声優だったこともあり、ネット上でも話題になりました。

鈴池被告は2007年11月に里親申請をし、2009年9月にみゆきちゃんを里子として引き取りました。

それから1年も経たずにみゆきちゃんは「新しいお家」の地下室で命を落としたんです。

この事件に関しては被告の関係者が冤罪を主張していて(http://yunatime.com)本当のところ(本書では鈴池被告が殺害したという判決を採用)はどうだったのか判断材料が少ない以上、発言を控えたいところですが、この事件をうけて、全国の里親が100人以上も集まって緊急集会が開かれたその内容に僕は驚きました。

「私は里子を預かるまで、子どもは愛情さえあればスクスク育つものだと思っていました。実子はそうやって育ちましたから。3歳の男の子が里子に来てから、妻は1年間の記憶がないと言います。私もまだつらくて話せない。ひょっとしたら殺してしまうかもと思ったこともあります。」

50代の男性の告白に、集まった里親たちは次々に殺意の心情を告白しだしたんです。

里親たちを苦しめているものは一体なんなのか——。

それが、本書のテーマ「虐待の後遺症」です。

例えば第1章の美由ちゃん。

少しでも注意されると、その瞬間に感情を切ってしまい、そのまま何時間も無表情のまま立ち尽くすのだそうです。このフリーズ状態は虐待を受けた子どもにはよく見られるもので、解離性障害と呼びます。

虐待児はいつ虐待を受けるかわからない過酷な世界にいて、24時間、脳が戦闘態勢に入っている状態で、その瞬間、瞬間を生きています。虐待中はつらい現実から自己を防衛するため脳が記憶のスイッチを切って生き延びようとします。

ですから、里親や学校の先生からの「軽い注意」でさえ、スイッチを切ってフリーズ状態になってしまうのだそうです。

「解離性障害の凄まじさは治療した経験がないとわからないと思います。」とはあいち小児に勤める杉山医師のことば。1年間診療していても、名札を隠すと名前がわからなくなるのだそうです。知的障害はみられない子なのに。

このような子たちと、一体どうやって関係性を構築していけばいいんだろう。小学1年生の男の子を育てている僕が今体験している、教育が一切通用しない。そもそも子育ての常識が全く通用しないのが虐待児の子育てなんですね。

解離性障害の症状は他にも、離人感(物事の実感がなくなる)、被影響体験(何かに操られている感覚)、解離性幻覚(オバケが見えたり、声が聞こえる)、トランス(没我状態)、交代人格(昔の言い方では多重人格)、解離性思考障害(内なる人格に邪魔され思考がまとまらない)など。

これら全てが本能的に自分の身を守るための防御として身につけたもの。

愛さえあれば、ほんとうに育つだろうか。

読めばそんなキレイ事どこかに飛んでいってしまう。

一方で、虐待をする「最低な親」についても、一言で片付けられない問題が。

虐待を受けて育った子は、虐待を受けている最中、いま攻撃されているわたしは本来のわたしではないと、「ほんとうの自分」と「虐待されている自分」を切り離してしまいます。そうする事でしか「ほんとうの自分」の身を守れないからです。こうして自分を閉じ込めて育った子に見られる行動として、何か(小動物など)を閉じ込める特徴が見られます。

これを再現行動と呼びます。

年を重ねるごとに父親(母親)に似てきた、なんて感覚は誰しもがあって、再現行動は虐待児のみに見られるものではないかもしれませんが、人は自分が「受けたもの」を「与える」ことしか出来ないのかもしれません。ですから、虐待をする側は、つらい過去を抱えながら生きている人が多いんですよね。

本書では里親たちを訪ねて丁寧に取材し、虐待を受けた子どもたちの現状を伝えています。

少子化でありながら、虐待で保護される児童数は毎年増え続けています。多くの方が理解し、地域ごとに協力して取り組まなければならない問題であることがよくわかる素晴らしい本だと思います。子育てのいくつかのヒントもいただけました。

満場一致で受賞した作品だそうですが、たしかにこの本は「読むべき」ではないでしょうか。

僕はいつか里親になりたいなって思いましたよ。そのためにはもっと人間として磨かなければいけないところが多々あるんですけども。虐待についても、本書に止まらず、知識を今後も深めていくつもりです。

座頭魄市orejiru at 22:39│コメント(0)トラックバック(0)  | このエントリーをはてなブックマークに追加

2014年09月23日

AERA (アエラ) 2014年 8/11号 [雑誌]
朝日新聞社
朝日新聞出版
2014-08-04


先月のAERA8/11号での丸ごとジブリ特集(http://takushi.blog.jp/archives/51996040.html)を読んで、宮崎駿監督の引退後初仕事でもある「クルミわり人形とネズミの王さま展」が今年5月から来年5月までの期間に開催されているのを知り、早速美術館に遊びに行ってきました。自身2度目、3年振り。

いい展示でした。

仕事が2Dから3Dに変わっても、しっかり宮崎駿監督らしさが感じられる展示で、僕もすっかり童心にかえって、おもちゃ箱の中で過ごしているような時間を過ごせました。6歳になる息子の成長も著しく、理解度もかなり深まっているようで、館内の展示ひとつひとつを丁寧に楽しんでおりました。

ディズニーが2Dから3Dになったように、ジブリも本格的な3D化目指して舵とってほしいなあ。ジブリ美術館見ていると、このクオリティのままランド化できれば、ディズニーランド級の王国も夢じゃないんですよね。

でも難しいんでしょうねえ。
せめて美術館の拡大は市をあげて頑張ってほしい。

今回の「クルミわり人形とネズミの王さま展」を記念して、館内の図書閲覧室にてホフマン作「クルミわりとネズミの王さま」を購入すると、宮崎駿作画のカバーがもらえます。




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ステキな絵!
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絵はもちろんですが、このカバー、紙もオリジナルのより豪華。
岩波少年文庫は一般的なコート紙と言われる安価な紙ですけど、限定カバーは「きらびき」という用紙を使ってると思います。特殊用紙で、コート紙と比べても何倍も高い紙です。
写真では伝わらないですね。光に反応してキラキラと「きらびく」用紙なのでうまく撮れないです。

こだわりのいいカバーなのは間違いないです。

表紙表
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表紙裏
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「クルミわりとネズミの王さま」未読でしたら、美術館に行く前に、本を読んで世界観を把握しておく、もいいけど、せっかく未読なんでしたら未読のまま展示を楽しんで、のちに館内でも買えますから、そこで限定カバーと一緒に入手するのもありだと思いますよ!

座頭魄市orejiru at 23:22│コメント(0)トラックバック(0)雑記  | このエントリーをはてなブックマークに追加

2014年09月19日

西鉄バスジャック事件があった当時、僕はまだ「2ちゃんねる」の存在を知りませんでした。この事件で掲示板を知ったこともあり、「2ちゃんねる」にはあまりいいイメージを持てませんでした。今もそんなにいいイメージはないんですけども、まとめでちょいちょい読むようにはなりました。

「オカルト板」に常駐していた時期もありますけどね。

いつも事件モノを読むたびに思うのですが、僕は加害者よりもどちらかというと、加害者の親に興味があるんですね。それは僕が一児の父親だからで、事件をとおして子育てのヒントを見つけようとしてるのかもしれません。加害者がどう育てられたのか、問題はほとんど「家族」にあるだろうと思ってて。

でも、加害者自身の心の有り様に焦点が絞られたものが大半で、続いて被害者側の立場から事件を語るもの、マクロな視点で社会構造の問題点から事件を語るものと続きます。

家族にスポットを当てた事件モノは割合少なく、もう少し量が欲しいよなあと思っていたところ、家族にスポットを当てた新刊が出てました。




序盤、こんなまともな家庭で育ったのに、なぜあんな残酷な犯罪をおこすまでに心が壊れてしまったんだろうかと、頭のなかで家庭環境と犯罪が全く結びつきませんでした。

学校でいじめにあった少年をどうにかしてあげようと、母親は必死に手を尽くすんです。けれどその甲斐むなしく少年はひきこもってしまった。

そんな時、どうすればいいのか。

難しい問題ですよね。ひとつの答えで解決できる問題ではないですし。

母親は専門家を訪ね歩いて、アドバイスをもらいながら少年と向き合おうと行動してるんですね。学校に何度も足を運んで、いじめ問題を訴えて。いじめに苦しんだ少年が自己否定感に潰れないように、家庭内では少年を肯定し続けた。結果的に、その母親から肯定され続けた少年は、自分を「特別な選ばれた存在」だと思いこんで、暴走してしまうんですが。

専門家から「自己否定感が膨張すれば自殺の可能性がある。家のなかに居場所を作るために否定的な態度はとらないように。肯定し続けて」とアドバイスされれば、僕だって同じような行動を取ると思う。自分の息子がいじめられたらやっぱり悩む。どう接してあげればいいんだろう。誰もがみんな不安を抱えながら子どもを育てていて、困難にぶつかったとき、そんな風にこの手の専門家に言われたら、すがっちゃいますよね。

ただ、母親の肯定は、度がすぎる部分もあるように感じました。

少年が「ぼろい家がいやだ。新しい家を買って」と母親に言い、それをうけて家を買ってるんですよね。

ん?って。

でも、その短い文章だけで判断するのも安易だし危険でもあって。元々、夫婦で「そろそろ家を購入しようか」と悩んでいたかもしれません。買うべきか、買わないべきか、悩んでいるところに子どもから「新しい家に住みたい」と言われたら、その言葉をきっかけに買うこともあるだろうし。悩んでいるときって、大抵の場合ほんとは「買いたい」のですから。

中盤まで、ほんとうにタイトルの「ある日、わが子がモンスターになっていた」とあるように、加害者になるのは夫婦仲良く、家庭一筋に生きている「なんの問題もない」家族にさえ起こりうることなんだなあ、と恐ろしく感じてました。

ヒントは、母親の手記にありました。

以下、少し長めの引用ですがゾッとした部分です。
人はぎりぎりのところでは自分しかいない。情けのかけらをもらおうと期待している自分を責めるしかない。強くなれ、強くなれと、いくら自分に言い聞かせても、やるせない涙がほほを伝わるだけ。空の青さがこわいくらいに私にふりそそぐ。私の生きているぎりぎりのエネルギーをとらないで、とらないで。もしよかったら、夕焼け空のあのあたたかな包みこむようなやさしさを、ほんの少しでいいからわけてくれませんか
〈中略〉
限りなくいじけた自分。限りなく落ち込んでいる自分。限りなく人をにくんでいる自分。限りなく他人をとことん信じられない自分。限りなく人の心がこわい自分。限りなく人の口から出てくることばがこわい自分。限りなく人を信じられない居場所のない自分。限りなくそういう悪いほうばかり考えてしまう自分。限りなく自分はダメだと思う自分。限りなくすべて希望がもてない自分。限りなく自分が自分を大嫌いな自分。限りなく立ち直れるんだろうかと不安に思う自分。今自分があるのは死にたいと思う自分を止める自分がただいるだけ。私たち夫婦の嫌われかたは半端じゃない。何故どうして。もういいかげんにしてほしい。このつらさ重たさに耐えていけるのだろうか。死ととなり合わせの自分がいるのに、日々はそれなりに過ぎていく—。

息子が殺人犯になってしまったのです。とてもまともな精神状態ではいられなかったとは思います。その心中はお察しします。

でも、手記の言葉には母親の「自己愛」を強く感じました。

読んではじめに思ったのは「それで、息子のことは?」と。

読んでわかるように手記に「わが子」がどこにも出てこないんです。前半部分のポエムっぽい文章に違和感を感じながら読み進めていくうちに、自分、自分、自分、自分。自分のオンパレード。手記なんて自分だけのものですけど、ここまで「自分」が並べられてる文章ってなかなか書けないんですよ。

僕はこれを読んで思い出したのが酒鬼薔薇聖斗のことでした。




酒鬼薔薇聖斗の母親に通じるものを感じるのです。

ほんとうは「いい子」なの。
ほんとうのこの子は、とても「いい子」なの。

そう訴える酒鬼薔薇聖斗の母親もまた、「自分」が異様に強い手記を書くんです。


どちらの家庭も一見してごく普通の家庭。
けれども、母親の愛が「自己」に向いているように感じてなりません。


もう少し加害者の親について、掘り下げて考えてみたいのですが、手記だけで判断するのは難しいですし、著者の書き方、さじ加減で解釈も変わってしまいそうで。

もう少し両親に踏み込んで取材したモノを読んでみたいんですけども、何かいい本ないですかねえ。


座頭魄市orejiru at 23:41│コメント(0)トラックバック(0)  | このエントリーをはてなブックマークに追加

2014年09月09日

あまりの面白さに、寝食わすれ読み耽ってしまった。

「ジョン・ハンター」ってだれ?ならおめでとう。
「ダーウィン」は知ってるが「ハンター」は知らないなら、なおよろしい。心ゆくまでのたうち回っていただきたい。

「ダーウィン」が「種の起原」を発表して世界に激震をもたらした、その70年も前に、一人の解剖医が既に「進化論」に辿り着いていた。

解剖医ジョン・ハンターの数奇な生涯 (河出文庫)
ウェンディ・ムーア
河出書房新社
2013-08-06



18世紀、ロンドン。

ロンドンの街が寝静まった頃、夜な夜な墓場を掘り起こしては死体をかっぱらい、自室にこもって解剖し続けた男。彼こそが現代医学の父「ジョン・ハンター」である。いや、ハンターの発見は医学のみならず、地質学、生物学など多岐にわたって、現在の考え方の基礎となるような重要な発見を次々としている。

例えば、ハンターは化石もコレクションしていた。その化石が発見された地層のかけらを並べてみて、いつも同じ地層から化石が見つかることに気がついた。また、長期間にわたる水による浸食と堆積がどんな地形を作るかを考察し、現在のベルギーやオランダにあたる北海沿岸の低地帯はかつて海だったことと、テムズ川渓谷もその一部だったことを突き止めた。地質学の父と称される「ウイリアムスミス」が発表する20年も前に。

例えば、18世紀の医学は古代ローマ時代からほとんど発展が見られない古典的なものだった。治療といえば下剤を飲ませるか、あるいは血を抜くか。当時はまだ「悪い血」を抜くのが良しとされる時代だった。また、衛生という概念そのものもなかった。そんな時代にハンターは論理的に死後一時間以内に蘇生法を実施すれば、生き返らせる事も可能なはずだと主張した。実際その蘇生法は現在では誰もが知っている気道を確保して、鼻と口から息を吹き込むアレだ。これが常識として定着するのに200年かかっている。さらに驚くべきことに心臓に電気を使えば蘇生するはずだと推察し、1774年に成功例が記録されている。こちらも常識になるまでに200年だ。

こんな面白い話もある。

ハンターは人体はもちろん、動物、植物問わずあらゆる生物を解剖し、観察し続けた。その経験からハンターは全ての事象は複雑化(進化論)に向かっていることに気がついた。そこで頭蓋骨を段階的に並べてみて、辿り着いた結論を新聞に発表した。

「我々の最初の祖先、アダムとイブは明らかに黒人だった。最初に黒人を創造したのだから神は黒人だったはずだ」

「神は黒人」のくだりはハンターのブラックユーモアだろう。神が生物を作ったという考えが定説だった時代に、ハンターは自然が生物を作ったと確信していたのだから。
しかしこの発言は、18世紀のロンドンにおいて、あまりに過激すぎる内容だった。白人至上主義の中でこんな事を言う人間なのだ。当然理解されず保守的な医者らから批判本を多く出版された。このエピソードにもハンターが世に出なかった理由が窺い知れるだろう。

アダムとイブが黒人だったと証明されたのは、20世紀後半も後半、つい数十年前のはなしだ。

ハンターの論文を一部引用させていただく。
もっとも完全な動物である人間のすべての部分が、そもそもの最初からどの時点でどう増やされ、変更され、完成品となったのかを追跡することが万一かなうのであれば、それぞれの部分を不完全な動物の部分と比較して、変化の順序と時期を特定したいものである。言い換えるならば、より不完全なものから完全なものまでの一連の変化を順を追ってとらえることができるのであれば、不完全な動物は完全な動物のどこかの段階にあてはまるということが証明できるはずである。

犬と人間の胎児が似ていることを観察し、同一の祖先から発展してきたと確信をもったハンター。1871年にダーウィンが「人間の由来」にて、確信はないとしながらも発表するはるか前に、ハンターは断言しているのだ。

ハンターの異常なまでの先見性がわかってもらえただろうか。

実は本書の“のたうち回る”ほどの面白さは彼の偉業の数々ではない。ほんとうの面白さはそのプライベートにある。この偉人の日常ってどんなんだろうと興味を持っていただけたら幸い。

妊婦の腹の中を解剖したくてたまらないハンターが臨月を迎えた死体を探し求める第4章「妊婦の子宮」や、18世紀伝説の巨人(身長243cm)として一躍有名となったチャールズバーンの噂を聞いて、その死体が欲しくて生前交渉を計って翻弄する第13章「巨人の骨」など、奇人扱いも無理はないなと納得できるし、現代に生きていればサイコパス認定間違いなしである。

というか、何らかの人格障害はあったんだろうなあ、と思う。

多少のグロ耐性は必要だ。感受性豊かな人であれば吐き気を催す描写もなかにはある。実際、最初に書いた「寝食を忘れて〜」の「食う」については食欲が湧いてこなかったのだ。

さいごに各章のタイトルを。
第1章「御者の膝」
第2章「死人の腕」
第3章「墓泥棒の手」
第4章「妊婦の子宮」
第5章「教授の睾丸」
第6章「トカゲの尻尾」
第7章「煙突掃除夫の歯」
第8章「乙女の青痣」
第9章「外科医のペニス」
第10章「カンガルーの頭蓋骨」
第11章「電気魚の発電器官」
第12章「司祭の首」
第13章「巨人の骨」
第14章「詩人の足」
第15章「猿の頭蓋骨」
第16章「解剖学者の心臓」

こんな面白い伝記はなかなかない。
本気でオススメ。
ぶっ飛んでる。

座頭魄市orejiru at 22:21│コメント(0)トラックバック(0)  | このエントリーをはてなブックマークに追加
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