2014年04月

2014年04月30日

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2014年上半期の映画で、最も話題を呼んでいる衝撃のドキュメンタリー映画「アクト・オブ・キリング」

町山さんの紹介を書き起こした記事(http://takushi.blog.jp/archives/51982181.html)は50000PVを越え、「いいね」も4400以上つきました。町山さんの紹介は「見なければいけない感」を生みだして、シェア行為を発生させるパワーがあるんですよね。

くわえてライムスター宇多丸さんの映画批評「ムービーウォッチメン」でも取り上げられ、町山宇多丸双方が2014年ベストと太鼓判押しましたから、すでに(映画好きなら)見ないバカはいないだろうってところまで持ち上げられてしまってる状態です。

僕も公開初日に鑑賞するつもりだったのですが、人が多すぎて断念しました。映画館周辺は軽いパニック状態になっていたので逃げるようにその場を去り、少し間をあけての鑑賞となりました。

その間にインドネシアについてもう少し掘り下げて勉強したりして、万全の態勢で臨もうとはりきって色々読んだんです。日本でおこなわれた虐殺もいれておこうと九月、東京の路上で 1923年関東大震災ジェノサイドの残響 [単行本(ソフトカバー)]まで守備範囲を広げましたから、入れ込みすぎて虐殺マニア化してしまうのではないかと、自分に恐怖を感じたりなんかして。

そうしてついに鑑賞に至ったわけですが、僕が見た回では、上映中にどでかい「いびき」をかいている男性がいまして、周囲からはため息の合唱という壮絶な回での鑑賞となってしまいました。こういう場合、周囲は彼を起こしてあげるのが「善」なんでしょうか。それともぐっとこらえて許容してあげるのが「善」なんでしょうか。難しい問題ですよね。

僕は深夜に上映される「ミッドナイト上映(現在は随分減ってしまいました)」も好きなので耐性はついているんですよ。ミッドナイト上映なんて「カップルがいちゃつく場」だったり、「犯罪のアリバイ作りの場」だったり、泥酔者の「酒場」だったり、「睡眠の場」だったりして結構カオスな感じがあって、そんななかで一人ぼっちで映画見ていると、ちょっとホッとしたりできるんです。でもそういうスカスカな空気感とは今回ちょっと違う場ではあるので、やはり起こしてあげるべきだったんでしょうか。

で、僕はいびきをかいていた彼のこと責められないなと思ったんです。というのもこの映画、もの凄く「単調」なんですよね。少しでも気を抜けば僕も寝ていたかもしれない。

作品自体がバンバン情報を与えてくれる映画ではないんですよ。事前に色々調べていなかったら、僕も退屈に感じてしまったかもしれません。

勿論、スゴくいい映画です。

鑑賞後、本当にいろんな事を考えさせられますし。

自分が見たくないもの、知りたくないものから目を背けるために、人はどんな行動をとるのか。そして、そうしたものと向き合わなければならなくなった時に、人はどうなってしまうのか。自分自身がしてきた行為が、いかに恐ろしい行為であったのかを知ってしまうラスト。その瞬間をとらえた映像は壮絶です。

あのラストはたしかに、今年のマスト映画にふさわしいかもしれません。

でも、町山さんの宣伝が素晴らしすぎました。宇多丸さんの煽りも素晴らしすぎました。それに尽きます。

僕から何か付け加えたいことは、ひとつだけ。

町山さんの紹介にありました「この映画は最後の最後にですね、もう映画館で見たとき観客全員が、ほんっとに全員が声を出して泣くぐらいの、スゴい衝撃的なシーンが待ってます!」という言葉に、期待値をあげまくって構えていると、スゴい衝撃的です。

「泣く」というよりは、凹みます。

座頭魄市orejiru at 13:07│コメント(0)トラックバック(0)映画  | このエントリーをはてなブックマークに追加

2014年04月25日



僕が出口治明さんに興味を持ったのはHONZ(http://honz.jp/)という書評サイトでした。

どなたの書評も、読んでみたくなるものばかりなので、積読本が高くなるばかりの非常に悪質なサイトです。

なかでも出口さんの書評が僕は大好きなんですよね。ことばは「知性」に溢れ、行間からは「教養」が滲み出ていてですね、読むたびに「いつかこんな書評書けるようになりたいな」と思っているんです。

そんな尊敬している出口さん。ですが、これまで著書を読んだことがありませんでした。ビジネス書を何冊も出されているのですが、ビジネス書はほとんど読まないんです。最後に読んだのはシェア <共有>からビジネスを生みだす新戦略 [ハードカバー]ですが、賞賛の声がうるさいくらいになってやっと読むくらいなもので、やはり基本は「ノンフィクション」「サイエンス」に手が伸びます。最近になって新たに「歴史」への興味が強くなってきたところです。

新刊は「世界史」がタイトルに入っていて、ついに読みたかったものが出てくれたと、喜び勇んで本屋で購入しました。

スゴいですよ、この本。

5000冊の歴史書を読んで腹に落ちた人類5000年史を、出口さんオリジナルの解釈で読み解いていくそれは、まさに「知の冒険」です。驚いたのはこの本、参考文献がないんですよね。本書を書くにあたって読みなおした本はないんだそうです。出口さんの頭のなかに詰まっている歴史は一体どれだけ深いんでしょうか。

各章立ては下記のとおり

1章 世界史から日本史だけを切り出せるだろうか
2章 歴史は、なぜ中国で発達したのか
3章 神は、なぜ生まれたのか。なぜ宗教はできたのか
4章 中国を理解する四つの鍵
5章 キリスト教とローマ教会、ローマ教皇について
6章 ドイツ、フランス、イングランド
7章 交易の重要性
8章 中央ユーラシアを駆け抜けたトゥルクマン
9章 アメリカとフランスの特異性
10章 アヘン戦争
終章 世界史の視点から日本を眺めてみよう

なかでも2章と4章の中国について、3章と5章の宗教についてはおもしろいです。また、大きな世界史の流れを汲み取ったうえでの、戦後の日本の高度成長をどう見るかも、大変おもしろく勉強になりました。

仕事に「効く」かどうかはわかりませんが、非常におもしろい「世界史」の授業ですので、世界史の入門としてもオススメできる一冊です。


座頭魄市orejiru at 12:49│コメント(0)トラックバック(0)  | このエントリーをはてなブックマークに追加

2014年04月22日

2010年7月30日。
大阪のワンルームマンションで3歳の女の子と1歳8ヶ月の男の子が、変わり果てた姿で発見された大阪二児置き去り死事件。

子どもたちはクーラーのついていない真夏の部屋で、ゴミに埋もれて、折り重なるように亡くなっていた。遺体は腐敗し、一部白骨化していた。部屋は中から出られないよう外側から粘着テープが貼られ、さらに南京錠で強化されていた。冷蔵庫は扉の内側にまで、汚物まみれの幼い手の跡が残されていた。

容疑者の母親はシングルマザーの23歳。マットヘルス店で働く風俗嬢で、子どもを放置したまま何週間にもわたって男の家に入り浸っていた。わが子の死を目の当たりにした日、わずか数分でその部屋をあとにすると、男友達に電話をし、そのままドライブに出掛け、観覧車の写真をブログにアップし、ホテルでセックスをした。




当時マスコミがこぞってこの事件を取り上げていました。僕の息子が当時2歳だったのですが、かわいい盛りの無邪気な息子の姿を見ているから余計に、なぜこんな小さな子どもを放っておけるんだろうかと、心が痛んだのを覚えています。

ネットの反応は、彼女に対する誹謗中傷がほとんどだったと記憶しています。写真もネット上に多く出回り、どことなく「セックスが好きそうな顔」にみられる外見も誘い水となったんじゃないかと思います。

僕は、彼女がどんな両親の元で育ったのかがずっと気になっていました。生まれつきの「ネグレスト」なんて存在しないはずだし、彼女を「ネグレスト」にしてしまった決定的なポイントがあるはずだと。

でもそんな単純に分析できる問題じゃないんですよね。

むしろ本人が悪いだとか、両親が悪いだとか、元夫が悪い、行政が悪い、友人が悪い、そんな風にどこかに押し付けてしまえるような単純な問題であれば、気持ちのやり場があるだけ僕も楽だったかもしれません。けれど彼女の周囲に悪の根源となる異常者はいなくて、むしろ父親なんて僕なんかよりもよっぽど「人格者」なんですよね。

読後、こんなに「やり場のない」思いを抱えてしまうとは思いもしませんでした。答えは見つかると思ってましたから。

昨年2013年、彼女は懲役30年の刑が確定しました。

僕は、懲役30年の刑に不服があります。この判決は彼女に「殺意」があったと下した内容です。彼女の行動と言動をそのように判断した「社会システム」に僕は絶望しました。彼女に責任がないとは思いません。育児を放棄した罪は重い。でも。

母親が他の男と不倫の末に、その男との生活を選んだことで、彼女はどれだけ傷ついたんだろう。

十分な愛情を受け取ることも出来ないまま、高校教師である立派な父親に、「正しさ」ばかりを求められた彼女はどれだけ辛かっただろう。

彼女は過ちを犯している。真面目ないい夫と出会えたはずなのに、他の男性と関係を持ってしまった。でも、その過ちによって夫は彼女を「いなかったこと」にして突き放した。自業自得と言えばそれまでかもしれないけれども、彼女の生い立ちを知ってしまうと、どうにもやるせない気持ちになります。

彼女はこの本を読んだことがあるだろうか。
彼女に届けたい一冊。
たった一冊の本で、彼女は救われるとは思わないけれども、可能性はゼロではないはず。



「自分の問題を他人のせいにしてはならない」という主張はもちろん正しい。だが、それをそのまま幼い子どもに当てはめることはできない。自分を守るすべを知らない子どもだった時に大人からされたことに対して、あなたに責任はないのである。

彼女を罰するよりも愛する社会になってほしい。
育児を放棄した罪の償いは、愛に満たされた彼女の中から自然に発生するはずだから。

座頭魄市orejiru at 19:55│コメント(0)トラックバック(0)  | このエントリーをはてなブックマークに追加

2014年04月18日

先日、とあるラジオ番組で話していた「桜」のはなしに感心しました。

毎年4月の(たぶん)第2日曜日に「桜花賞」という競馬のG1レースが開催されています。この「桜花賞」は、毎年桜が満開なんだそうです。Google画像検索をかけてみればわかりますが、たしかに桜を背景に走る馬たちの写真がずらりと並ぶんですよ。

桜が見頃を迎える時期なんて、毎年違うはずなのにどうして「桜花賞」に満開なのか。桜に合わせて「桜花賞」の日程を調整しているのかというと、どうやらそうではないみたいなんです。「桜」が、「桜花賞」に、合わせて咲いているらしいんですね。

どういう事かと言いますと、まず「桜花賞」の日にちが決まり、そこから逆算をして、見頃をうまく迎えられるように、桜の根っこを冷やしているんですね。

競馬場の周りではとっくに、春の訪れを草木たちは感じ取って、開花に向けて着々と準備をすすめているなか、人為的に「まだ冬ですよ、まだ冬ですよ」って、桜ちゃんを騙してるわけですよ。それでタイミングを見計らって「実は春でしたよん♪」って解き放つわけです。

僕は、桜の開花すら制御してしまう、そんな日本の造園技術に感心したんです。

でも、同時にそんな人為的な「桜」の美しさに、どことなく白けてもしまったんですよね。気付きもしなかったくせに。

もちろん農業だって同じように草木を制御していて、そうした技術の「おかげ」で僕は生かされているわけですから、白けるだなんて筋違いなんですけどね。


そういった「桜」に対してのちょっとした心情も忘れかけた頃。いつものように本屋で物色していたところ、目をやった先にこの本を発見しました。




「桜は本当に美しいのか」という挑発的なタイトルに吸い寄せられるように、この本を手に取ってめくってみたんです。
私の遅咲きの桜信仰が揺らぐ時が来た。2011年3月11日の大震災である。まだ、桜は咲いていなかった。しかし、その春の花たちは、みな天地の異変に反応した。椿、菫、蒲公英、花の大小にかかわらず、常よりも色鮮やかに、叫ぶように咲いたのである。
独り、桜だけが尋常だった。猛威を振るった自然の一部としてなのか、何事もなかったように平然と咲いていた。私は、その桜の姿を美しいと感じることができなかった。あまりにも非常に見えた。しかし、考えてみれば、非常こそ自然の本来の相である。自然は人間のために存在するわけではないのだ。まして、桜は、遠い昔には、人知れず山中に咲いていた花である。桜を人間の俗界に招き入れ、あえかなはなびらに、堪え得ぬほどの重荷を負わせたのは、私たちの罪ではないか。

我に触るるな。

あの春に見た桜は、そう言っていたのかもしれない。私たちには、桜を、長い長い人間の欲望の呪縛から、解放すべき時が来てはいないだろうか。

パラパラと流して読むと、「日本書紀」「万葉集」「枕草子」「源氏物語」などからの引用が並んでいて、勉強を怠ってきた僕には古語アレルギーを起こしそうになったのですが、強いまえがきのことばに感銘を受けたんです。

読み始めてみると、これが非常におもしろいんです。

特に興味深く読ませていただいたのは「万葉集」です。7世紀後半から8世紀後半ころにかけて編まれた日本に現存する最古の和歌集でして、「万葉集」の前半は「梅」のほうが歌人たちによく詠まれていて、後半につれ「桜」が詠まれ始めるんですね。「桜」の表現が多様化していきます。

面白いのは1000年以上前に、日本人は既に「桜」を擬人化までしているんですね。多分この頃に古代ギリシャで生まれた擬人法が、海を越えて日本に入ってきたのかもしれないなと想像しました。

本書では「桜」がメインテーマなので、世界史とは切り離されて論じられているのですが、世界史ではどんな時代だったのかを日本史に取り込むと、また違った一面が見えてきて面白いんですよね。

これはライフネット生命代表取締役「出口治明」さんの著書仕事に効く教養としての「世界史」 [Kindle版]を読むと理解が深まると思います。

恐らくは「万葉集」の初期は、時代的には中国、韓半島の影響を強く受けていた時代ですから、中国から「美しさの象徴」として輸入された「梅」を好んだんじゃないでしょうか。「新しいもの」を取り入れる「かっこよさ」を求めた、歌人たちの姿を僕は想像してしまいます。

この時代に日本では女性天皇が続くのも、中国、韓半島で女帝が誕生していたからなんですね。

それで「万葉集」後半になると「桜」が詠まれだすんです。これもあくまで想像ですが、当時そんな「輸入モノ」に飛びついて、時代の先端をいこうとする者たちを、よく思わない人たちもいて、そんな彼らが日本人のアイデンティティーを、古来から、日本の山奥深くに根付いていた「桜」に見出し、和歌に取り込んでいったのではないか。そんな風に僕は感じたんです。

「桜」がアイデンティティーとなり、定着したからこそ、桜は軍国の花となったのかもしれません。「花は桜木、人は武士」という暴力的な価値観に姿を変えたのは残念でなりません。

貴様と俺とは同期の桜 同じ兵学校の庭に咲く 咲いた花なら散るのは覚悟 みごと散りましょう国のため
——西條八十作「同期の桜」


しかし、戦争に負けた日本は「桜」を封じ、長い間、桜を歌うことをタブーとしてきました。1976年に美空ひばりが「さくらの唄」を歌うまで、ずっと封じられていたのです。これはGHQが禁じたのか、自発的だったのかは分かりません。GHQは何を封じ、何を広めたのかを、近々GHQ関連の書物を読んでこの空白を埋めてみたいと思います。

いずれにせよ、福山雅治が「桜坂」を歌い、宇多田ヒカルが「桜流し」を歌い、僕たちは春になれば一斉に桜を撮影してSNSにUPし出す現代は、平和的に和歌を詠んでいた古き日本の歌人たちとも、桜を通して共鳴しているんだなあと、ほっこりすることが出来た読書体験でした。

数々の書物から「桜」を抜き出してまとめられている本書は、これから先、参考文献としても非常に価値の高い書と言えるのではないでしょうか。

座頭魄市orejiru at 13:23│コメント(0)トラックバック(0)  | このエントリーをはてなブックマークに追加

2014年04月10日

2014年に読んだ本では「シャンタラム」も最高でしたし「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」も最高でした。「ローマの歴史」や「HHhH」も捨て難いところ。まあまだ4月ですし。まだまだ大傑作の匂いがプンプンする本が僕の机には積まれてあるのですが。

それでも言う“べき”だと。
2014年。この本こそが読む“べき”本、いや読まなくてはいけない本だと思います。



おもしろいか?
はい、おもしろいです。間違いなく。
比較するなら三億円事件 (新潮文庫) [文庫]級に「たのしめる」のは保証します。さすがに残虐性においては「北九州・連続監禁殺人事件」は次元が違いすぎる事件なので引き合いに出すのは難しいですが、それでも衝撃度ならば消された一家―北九州・連続監禁殺人事件 (新潮文庫) [文庫]級だと付け加えておきます。つまり事件モノとしては超弩級の本が「殺人犯はそこにいる」です。

著者の清水潔さんは以前「桶川ストーカー殺人事件」という本を出版しました。この事件もまた酷いものでして、かいつまんで説明をしますと、ストーカーに狙われた女子大生が警察に助けを求めたんですね。ですが警察は民事不介入で彼女の訴えを受け入れなかったんです。彼女の両親も助けを求めたのですが「痴情のもつれ」と見て渋るんです。彼女は友人にメールを送っていました。「わたし、もうすぐ殺されるかもしれない。わたしが殺されたら犯人は小松」そのメールを打ったあと、彼女は駅前で刺され、殺されました。助けを求めていたのになぜ彼女は殺されたのか。警察はどうにもできなかったのか。

これだけ聞くと男女の問題にどこまで突っ込んでいいか、その判断が難しいという警察の考えも一理あると思うんです。ですが、この事件に限ってはそうじゃなかったんですよ。清水潔さんが取材していくなかで、次々に明るみに出てくる警察のクソっぷりに、ほんとに反吐が出るんです。

さらに清水潔さんは警察が捕まえられずにいる小松のマンションを突き止めるんです。警察より先にひとりの記者が見つけるって事自体がおかしな話なんですが。それで清水潔さんは警察に通報をするんですが、警察動かないんですよ。そんな事あり得るわけないと思いますよね普通。でも動かないんですよ。

この事件に関していろんな不正をしてしまってたから動けなくなっちゃってるんですよ警察が。まず彼女の両親が提出した「告訴状」を勝手にですよ、勝手に「被害届」に改ざんしてるんです。「告訴状」というのは強いものですから警察は動かないといけないんです。立派な事件成立ですから。でも「被害届」っていうのは警察は動かなくてもいいんですよ。そういう事がありましたってだけの書類なんですよ。それだけじゃないんです。今度はわざわざ自宅に足を運んで「告訴状を一度取り下げてくれ」ってお願いしているんです。それで「もう一度改めて告訴状を出してくれ」と言ってるんですね。これはもうかなり悪質な「嘘」でして、一度告訴状を取り下げてしまうと、もう一度告訴する事って出来ないんですよ。法律で決まっているんです。分かってて事件そのものを抹殺しにかかってるんですね。

結局、殺された彼女は必死に助けを求めていたのに助けなかった。その失敗を隠すために警察は必死なんです。みっともない。警察はいったい何を「守ってる」んだろうって。その他にもこの事件、呆れてなにも言えなくなるくらい警察の問題点をついた本ですので、是非読んでもらいたいと思います。

それで、清水潔さんがこの事件を大々的に取り上げて、ストーカー被害というものが明るみに出て、世間が注目をして、ストーカー規制法が制定されたんです。

ストーカー規制法の立役者なんですね。

少し前置きが長くなってしまったんですが、そんな清水潔さんの新作が「殺人犯はそこにいる」なんです。

今回の事件は「北関東連続幼女誘拐殺人事件 」という事件なんですが、聞き覚えがないって方もいると思います。事件モノにアンテナ伸ばしていないとわからないですよね。

「足利事件」というのはうっすら思い出せる方もいると思うんですが、これがどういう事件だったのかというと1990年にパチンコ店で幼女が行方不明になりました。翌日近所の川原で遺体になって発見されたんです。そこで犯人として菅家利和さんが逮捕されました。取り調べによって菅家利和さんが「わたしが殺しました」と自供したんですね。もうひとつ、ここが重要な点なのですが「DNA型鑑定」で遺留品に残された犯人と思われるDNA型と一致したんです。

「自供」と「DNA型一致」ですから疑いようもなく「犯人」ですよね。

ところが裁判の途中に、菅家利和さんは突如「無罪」を主張しだしたんです。取り調べで警察に脅され、暴力をふるわれ、寝ることも許されず、「わたしが殺しました」といえば楽になれるとそそのかされ、怖くて、楽になりたくて、自供したと言い出したんです。

また、DNA型鑑定にも不服を申し立て、信頼性に疑問があると弁護側も訴えました。

いま聞くと「DNA型鑑定の信頼性に疑問がある」という言葉にちょっとずれてるんじゃない?と思いませんでしょうか。僕も思ってしまいました。DNA否定かよ(笑)って。

既に気付いてる方は、この事件の事を知ってる人かもしれません。

僕らが信頼性が高いと思ってる鑑定は「DNA鑑定」であって「DNA型鑑定」とは違うんですよ。「DNA鑑定」は個人の特定を可能にする非常に信頼性が高い鑑定ですが、「DNA型鑑定」というのは属するグループの特定をしたにすぎないんです。1000人の中に同じ「DNA型」は2.3人いるんです。

それでも当時は画期的でした。1000人に2.3人ですから。加えて容疑者の「自供」です。菅家利和さんは「無期懲役」を言い渡されました。ちなみにこの事件は「DNA型鑑定」によって刑を確定させた国内で初めての事件なんですね。

DNAについてもう少し詳しく知りたい方はこちらの本もオススメします。
「にわかには信じられない遺伝子の不思議な物語」

そんな「足利事件」に疑問を持った記者がひとり。

清水潔さんはこの事件の周辺で起こっている奇妙な接点に気がつきます。近辺で5人の幼女が次々に行方不明になり、殺されているんです(うち一人は行方不明のまま)。しかも5人ともパチンコ店で。このうち3つは菅家利和さんが「わたしが殺しました」と自供した。しかしこれは5つ全てが同一犯による犯行ではないだろうか。

そう考えたのですが、ひとつ矛盾が生じるんです。菅家利和さんが逮捕された後に1つの事件は起こっていたので、菅家利和さんが獄中にいる以上、同一犯ではないんですよ。ここで清水潔さんの直感が覚醒するんです。

「これは冤罪に違いない——」

2010年に菅家利和さんの冤罪が証明され、釈放されました。刑務所から出て来た菅家利和さんの隣にいた人が清水潔さんです。

清水潔さんは菅家利和さんを釈放したいがために動いたわけじゃないんですね。清水潔さんは菅家利和さんに御礼を言われてこう返すんです。「あなたの無実を証明したかったんじゃない。あなたが刑務所にいてもらっては困るからだ。だから出てもらっただけだ」目的は「真犯人逮捕」。そのために邪魔者にどいてもらっただけだと。

ここからがスタート。

清水潔さんはたった1人で、犯人を特定してしまうんです。その男を尾行し、接触をはかり、ついに容疑者のDNAを採取します。そして個人で「DNA鑑定」を依頼してしまうんです。

結果は「完全一致」

その男を警察に通報します。ですが、ここで「桶川ストーカー殺人事件」の悪夢が再び起こるんですよ。警察は動かないんです。DNAが完全一致していながら。そいつは今も週末になると、近辺のパチンコ店を回っているんです。2014年4月現在もです。

なぜか?

そろそろ文字数も3000字を超えてしまったので大きく割愛しますが、この真犯人を捕まえるということは、これまで「DNA型鑑定」によって獄中にぶち込んできた数々の犯人(仮)が、「犯人ではないかもしれない」ということを警察、検察は認めなければならない「悪魔の証明」だからなんです。

自分たちの過去の判決が間違っていた可能性を認めたくない。そんな己の保身のためだけに、未だ捕まえようともしない。みなさん、この国を法治国家だと胸を張って言えますか。

情けない。いい年こいた大人が「ごめんなさい」って言えなくてどうすんだ。

清水潔さんはそんな絶望的な状況のなか、本来は全て片がついてから書くはずだった本書を執筆します。警察は動かない。もういい。1人で闘うんだと。紙とペンだけで。この国への怒りを。全て暴いてやる。

ペンで闘うということはどういう事なのか。
僕は本書でよくわかりました。
お前の存在だけはここに書き残しておくから。
いいか、逃げきれるなどと思うなよ。

警察はいったい何を守っているのか。
清水潔さんの覚悟の書です。

座頭魄市orejiru at 15:08│コメント(4)トラックバック(0)  | このエントリーをはてなブックマークに追加
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