2013年12月

2013年12月31日

2013年12月31日。
快晴。

朝5時に起床して野川公園に散歩へ出掛けました。

いつも家族や恋人たちで賑わう公園が、今日は人の気配なく、乾いた空気が枯葉をカラカラと転がして遊ぶ音だけが唯一の気配でした。


振り返ってみると、わたしはとても幸運でした。というのも、これまでわたしは「死」を身近に感じたことはありませんでした。祖父が亡くなった時はまだ三歳で、記憶の一番深いところに一枚の写真として残っているだけです。父が箸で骨を拾いあげ、骨壺に骨をいれようとしている瞬間です。とても不思議な体験だったために焼き付いたのでしょう。その前後の記憶もありませんし、そのときどう感じたのかも憶えておりません。感情に紐づけされていない無機質な一枚の画像として、父の姿が脳の一番深い底に、ぺたり、と貼り付いているだけです。
祖母が亡くなった時も三歳から離れて暮らしていましたし、一年にいちど夏休みのあいだだけ会うっきりで、そんな行事でさえ高学年にもなると少なくなってしまい、祖母との距離も自然と遠くなっていきました。そんなわけで、両親から祖母が亡くなったと聞かされたときも、悲しさはそれほど大きなものではありませんでした。

それからしばらく「死」とは無縁でした。

「死」が最も身近に感じたのは愛犬の「死」でした。小学1年生の頃、我が家に柴犬がやってきたのです。経緯は忘れましたが夕方の散歩はわたしがやる約束があったことから考えると、おそらくわたしが両親にねだり倒したのでしょう。わたしは病気以外の日は毎日散歩をしました。それは高校二年まで続きましたが、三年になると夕方にアルバイトを始めたので、週末の可能な日だけ散歩しました。十年以上も続けた日課ですから、散歩をするのが億劫な日もなかにはありましたが、いまではあの夕暮れの川原で過ごした時間がわたしを育ててくれたのだと思います。

高校を卒業し、わたしは東京に上京しました。
それから4年後のことです。
両親から電話で柴犬の「死」を告げられました。やはりその「死」は辛いものでした。電話を切ったあと、一人で生活をするその部屋に妙な居心地悪さを感じ、近くの公園に散歩にいきました。ベンチに腰掛け、柴犬との思い出をふりかえってみると、涙が少しだけこぼれました。わたしが「死」と「記憶」を結びつけて語れることはこれくらいです。ですからやはり幸運だったのだと思います。

今年の三月でした。

とても親しい友人を亡くしました。
「とても親しい」と言葉に変換してしまうと、わたしの言う「とても親しい」がどれくらいの距離なのか曖昧なので、親しさを修飾する「とても」を微分化して説明したほうが親切なのでしょうが、それについてはまた別のかたちとして書きたいという思いもあるのでここでちょっと想像してもらいたいと思います。週末の予定が入っていない金曜の夜に、誰を呼び出そうか。はじめにパッと、あなたのあたまに浮かんだ友人との距離。

その距離によく似た「とても親しい」友人を亡くしました。
——記憶から死を取り除いてしまう魔法でもあればいいのですが。
いえ、もしもそんな魔法が使えたとして、記憶から死を取り除くことが出来たとしても、わたしの網膜に焼き付いた死の像は消えないでしょう。鼻腔の粘膜に染み付いた死臭は消えないでしょう。なぜならあの日、変わり果てた友人を発見したのはわたしなのですから。

死後一ヶ月が経ち、友人は腐敗していました。肉は腐敗が進み液状化していました。舌はだらしなく伸びて紫色へと変色していました。鼻はつぶれて頬に同化しかけていました。目玉はぼろりとこぼれて消えて、残された窪みだけがかつてそこにあったであろう目玉の位置を教えてくれていました。その窪みを見ていると、窪みの底から白い蛆がわいてきました。うにうに、うにうにと湧いてきよるのです。思わず目を逸らしました。酷い状態の「ソレ」はそこに ごろり と転がってました。友人であるのに「ソレ」と言いたくなるほど無惨な姿でした。暫くの間「ソレ」が友人であるせめてもの名残りを探しましたが、見つけられませんでした。友人がよく着ていた服、それだけが彼の名残りでした。

友人の死によって、わたしははじめて、「死」というものをはっきり意識しました。

「いつか自分も死ぬんだなあ」

言葉にすると呆けた感じですけれども、それは身近な人の「死」がなければ感じられない意識なのだと今ならわかります。

わたしは死ぬのです。

2013年、ひとつめの印象に残ったことです。

つづきます。

座頭魄市orejiru at 20:43│コメント(0)トラックバック(0)雑記  | このエントリーをはてなブックマークに追加

2013年12月26日

2013年もいよいよおわるこのタイミングに、おれはミューズ(音楽・文芸などを司るギリシャ神話に登場する女神)の声を聞いた。

「人生を豊かにするために、書きなさい。」

ーークソみたいな出だしだ。
その反応も無理はない。日本に生まれ、日本で育ち、日本語しか使えない奴が、ミューズの声を聞いただなんて、一体何にかぶれちまってるんだい、と古くからの友人でさえ心配するだろう。こんな奴の文章に価値はないし、これほど信頼性の乏しいものもないだろう。この先もきっとクソに違いない。さあ早いところブラウザを閉じて、お目当てのものでも探そう。もっと満たしてくれそうな場所へ。

ちょっと待ってほしい。

おれはミューズから魔法を授かった。
それをいまからお見せしよう。

それでもブラウザを今すぐ閉じるほどあなたが時間に追われているのなら、これ以上ひきとめたりはしない。だがほんの数分あれば魔法はかかる。文字にして1000字。ポケットに手を突っ込んで煙草を一本取り出し、煙をくゆらせるあいだのひと時付き合う程度だ。苦ではないはずだ。もっとも、あなたがいまベッドの中でこれを読んでいて、隣の恋人が下着のホックに手をかけている状態でなければの話だが。

それでははじめよう。

まずは書斎に案内する。目の前にはアンティーク加工をあしらったオーク材のドアがある。一枚板から削り出した重厚なドアだ。ドアノブは19世紀に英国で作られた真鍮製。その主張の強さが、ドアの向こう側を期待させるはずだ。

ドアをあけよう。

はじめに目に飛び込むのは部屋の中央にふてぶてしく鎮座している机だ。オーク無垢材のどっしりとした天板を支える4本の脚は、床に向かうにつれ痩せていき、それはまるで均衡と不均衡の境界線を示唆する目的のために作られたかのようでもある。その脚と床のあいだにはペルシア絨毯が敷かれている。この地球で、唯一踏むことを許された芸術品だ。あなたも踏んでみるといい。芸術品を踏む感覚はどうだ。悪くないだろう。視線を少しあげて天板を見てみるとそこに紙切れが1枚あり、青いフェルトペンで大きく「赤い薔薇」と書かれている。

いまおれたちは同じものを見ているだろうか。あなたがどこでこれを読んでいるかはわからないが、どこにいようと構わない。大事なのは、この書斎で同じものを見ているということだ。細部にズレが生じるのは仕方がない。ドアをあけるとき、ドアノブは丸型を想像したかもしれないしI型だったかもしれない。机の大きさだってバラバラだっただろう。ペルシア絨毯のデザインも、色も違うものを見ただろう。だが、同じものを見たはずだ。青いフェルトペンで「赤い薔薇」と書かれた紙切れを。

一緒に書斎にいたわけでもなければ過ごしている時間も違うはずなのに、我々はいまこうして同じものを見ている。おれたちの間にへだたりはない。こころとこころが共鳴しあっている状態だ。これこそが魔法だ。











そろそろ本題に入っていこう。
風変わりな出だしから入ったが、そもそもこの記事は読書感想文である。スティーヴン・キングの「書くことについて 」を読んだのだがクソかっこ良すぎて放心状態にある。小説を書く者はもちろん、こうしてブログを書くにせよ、140字で日々の感情をつぶやくにせよ、それが「書くこと」である以上はおしなべてひとつの問いが生まれる。

「なんのために書いているのか」

その答えはここに書くことは出来ないので本書を読んでもらうしかない。イケダハヤト君のように要約して紹介してしまっては意味をもたないからだ。先に魔法を紹介したのは同じものを見るためであり、こころとこころが共鳴しあった状態を僅かにでも感じ取ってもらいたかったからだ。そして答えはその先にしかない。スティーヴン・キングとこころを共鳴することで辿り着くその風景を、書くことに何かを見出そうとしている全ての者に味わってもらいたい。


書くことについて (小学館文庫)
スティーヴン キング
小学館
2013-07-05



本書では具体的な文章術がいくつも紹介されている。
例えば「受動態で書いてはならない。置き換える事が可能であるならば必ず能動態で書くこと」「語彙に関しては一番最初に頭に浮かんだものを使うのがいい」「書く作業の単位はセンテンスではなく、パラグラフでみる(リズムについて)」など。小説家を目指す者たちへ贈る、小説王からのアドバイスは必見だ。


さいごに
併せて下記のリンク先の記事も読んでみるといい。
書く勇気がわいてくる。
古今東西の文豪たちが語る「書くこと」についての30の名言

座頭魄市orejiru at 14:02│コメント(0)トラックバック(0)  | このエントリーをはてなブックマークに追加

2013年12月25日

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公開まで約2週間と迫った「大脱出」
おれたちのスタローン×シュワルツネッガーがついに夢の共演を果たしたわけだけど、はてなはもちろん、映画トピックをまとめたような場所でさえ、あまり話題にあがっていないのがなんだか寂しい。
映画.comの注目ランキングでも57位…。57位って…。今年4月公開の「HK変態仮面」が現在41位なんだから注目されない具合がわかってもらえると思う。
試写会の感想まとめてみてもね、「お二方の厚化粧が痛々しかったです」「正直オワコン」とかもう勘弁してほしい。
海に浮かぶ監獄要塞からお二方が脱走するんだよ?
ご老体に鞭打ってまだ逃げる気でいるんだよ?

もっと話題にしてほしいわ。


座頭魄市orejiru at 13:32│コメント(0)トラックバック(0)映画  | このエントリーをはてなブックマークに追加

2013年12月23日



レンタル開始。
息子と一緒に楽しもうと借りてきた。
途中で飽きられた。5歳児にはまだ早かったに違いない、と言いたいところだが、「バックトゥザフューチャー」シリーズは連続で観るから年齢は関係ないか。父と子の温度差が寂しかった。
父「ほら、ロケットパンチくるぞ、くるぞ、くるぞ、キターーー!」
子「パパ、トミカであそぼ?」
父「…うん」

きいろいゾウ [Blu-ray]
宮崎あおい
メディアファクトリー
2013-08-02


この映画が好きな人は女性であれば「向井理が好き」なのだろうし、男性であれば「宮﨑あおいが好き」なのだろう。小説で読むのに最適化された物語で、映像化には向いていない。この監督の感性を好きになれない。ベッドシーンも必要性を感じなかったし、撮りたかっただけだろう。撮るなら撮るでちゃんと撮ってほしい。

愛、アムール [DVD]
ジャン=ルイ・トランティニャン
角川書店
2013-09-06


こちらも「きいろいゾウ」と同じく夫婦の愛を描いた作品。ある日頸動脈が詰まり、右半身不随となってしまった妻。周囲はセカンドオピニオンや入院を勧めるが、入院を断固拒否する妻の気持ちを尊重して自宅介護を続ける夫。周囲から次第に孤立していくなか、妻の症状は悪化していき、人生の終焉が近づいてゆく。
非常に重い映画で、観賞後しばらく言葉を失う。そしてこぼれる言葉は「人生はかくも長く、美しい」

ショーン・オブ・ザ・デッド [Blu-ray]
サイモン・ペッグ
ジェネオン・ユニバーサル
2013-11-27


エドガーライト監督の新作『ワールズ・エンド 酔っぱらいが世界を救う!』が来年春公開される。クソ楽しみで、ついまた借りてきた。3度めだったか4度めの鑑賞。まだまだ飽きないわ。

座頭魄市orejiru at 13:05│コメント(0)トラックバック(0)映画  | このエントリーをはてなブックマークに追加

2013年12月21日

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【ストーリー】
地表から600kmの上空。すべてが完璧な世界で、誰もが予想しなかった突発事故が発生。スペースシャトルの大破によって、船外でミッション遂行中のメディカル・エンジニアのライアン・ストーン博士(サンドラ・ブロック)と、ベテラン宇宙飛行士マット・コワルスキー(ジョージ・クルーニー)の2人が無重力空間に放り出されてしまう。漆黒の宇宙で2人を繋ぐのはたった1本のロープのみ。残された酸素はわずか2時間分。地球との通信手段も断たれた絶望的な状況の下、果たして2人は無事に生還できるのか……?

【感想】
2013年公開の映画は豊作だった。
あなたの最も印象に残った映画はなんだろうか。

タランティーノ監督の「ジャンゴ」だろうか。
あれはたしかに最高の映画だ。
タランティーノ史上No1といっても差し支えない出来だった。

スピルバーグ監督の「リンカーン」だろうか。
あれも良かった。映画の役割として、歴史を伝聞していく側面がある。
この映画がもたらした功績はつとめて大きい。

高畑勲監督の「かぐや姫の物語」だろうか。
鈴木敏夫は『日本のアニメーションは「かぐや姫の物語」以前と以後で大きく変わるだろう』と言った。彼は毎回ビックマウスだが、今回ばかりは同意せざるをえない。

2013年No.1にふさわしい作品は他にもある。
今年はそれだけ豊作だった。

しかし今年は「ゼロ・グラビティ」が最後に待ち受けていた。
海外の評判を聞くたび、また予告編を目にするたび高まっていく期待はとうに大気圏を超え宇宙へと到達していた。完璧な世界を求めてしまった映画への期待は、ひとつの粗でも見つけた途端に絶望へと変わり、大気圏に再突入してしまう状態だった。
「ゼロ・グラビティ」はわたしのそんな無秩序ともいえる要望に対して、完璧な秩序でもって応えてくれた。

完璧だ。
なにもかもが、完璧だ。

ではなぜ★10の満点ではなかったのか。
なぜなら「ゼロ・グラビティ」は3Dで鑑賞しなければいけないからだ。
それも可能な限りIMAXシアターで。そして選べるなら字幕なし(吹き替え版)で。
全国のIMAX劇場一覧を参照していただければ分かるとおり、ベストな環境を提供する劇場が圧倒的に少ない。2Dで鑑賞しては勿体ない。もしレンタル待ちなど愚かな考えをお持ちならばよく聞きなさい。愚かな考えはだれにでもある。わたしもしょっちゅう愚かな考えが浮かんでは消え、また浮かぶ。だが、愚かな行動だけはしてはならない。愚かな思考が愚かな行動へ移ろいでしまうまえに、よく聞きなさい。「ゼロ・グラビティ」は3Dで鑑賞しなければいけない。これが★10ではない理由だ。

言い換えれば、3Dで鑑賞した場合、この映画は満点なのだ。

内容について一切言及せずにこれで終わりにしたい。
完璧なものを汚すわけにはいかない。
2013年圧倒的No.1!
絶対に満足できると保証しておく。

「ゼロ・グラビティ」★9

座頭魄市orejiru at 01:52│コメント(0)トラックバック(0)映画  | このエントリーをはてなブックマークに追加
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