2013年11月

2013年11月29日

父親の肺に「がん」がみつかったのは今年はじめのことでした。肺の片側を切除する大手術は無事に成功し、秋には父が愛した山に入山を果たし、これまでの記録を塗りかえるほどの舞茸を背負って下山してきました。山にとりつかれた父のことだから、死ぬなら山の中で死にたいだろうし、息子の僕もそれを望んでいる。

いまや日本人の3人に1人は「がん」で死ぬ。
あらゆる病に挑み、克服してきた人類。
その最後の敵は


「皇帝」がん。


この本は「人類」が腫瘍「がん」を発見してからの4000年にもわたる壮絶な闘いをまとめた本です。2011年ピュリッツァー賞を受賞し、歴史上最もすばらしい医学書のひとつと言われたこの本を読んでみていま思うのは、医学や遺伝子学をはじめ、あらゆる分野の知の巨人たちが知恵を結集して挑むこの闘いこそが人類にとって最後の「聖戦」になるであろう、ということ。

病の「皇帝」がんに挑む 人類4000年の苦闘(上)
シッダールタ・ムカージー
早川書房
2013-09-25


病の「皇帝」がんに挑む 人類4000年の苦闘(下)
シッダールタ・ムカージー
早川書房
2013-09-25



著者のシッダールタもまた文学という学問を手に「皇帝」に闘いを挑んでいます。先日読んだばかりの「にわかには信じられない遺伝子の不思議な物語」も快適に読めましたが、本書のほうが格段に読みやすく、小説のようにさらさらと流れるような文体は今後も読者層を広げてゆくに違いない。

本はタイミングも大事。もしいま興味が湧かなくても、あなたも「がん」と接するときが訪れるでしょうから、そんな時は本書の存在を思い出してほしい。きっとあなたの支えになると思います。

まだ2013年は1ヶ月ありますが、今年もっとも印象に残ったのは本書になるかもしれません。
これまで本を読み続けてよかった。好奇心を持ち続けてよかった。可能性を信じ続けてよかった。最高の読書体験でした。一度こうして閉じられた物語ですが、こうしている今もどこかで続いているこの人類の「聖戦」を、命あるかぎり応援し、読み続けていきたい。




座頭魄市orejiru at 18:31│コメント(0)トラックバック(0)  | このエントリーをはてなブックマークに追加
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【感想】

憂鬱…。

お稽古の途中、先生の目を盗んで十二単の裳(も)を脱ぎさり、きゃっきゃはしゃぐ田舎娘、姫さま。
脱ぎ捨てられた裳抜けの殻だけがぽつんと佇む。

とりわけて印象に残っているシーンでして、この「裳抜けの殻」があたまから離れません。
愛したのは生身の姫か、裳抜けの殻か。

姫の犯した罪と罰

見終わったいま改めて“姫の犯した罪と罰”という文言におもしろさを感じます。
実に見事だなあ、と。

「かぐや姫」は女性のための物語として愛されてきました。
当時は男性からの一方的な求婚があり、女性はそれを基本的には拒否出来ない立場にあって、そんな時代背景の中で生まれたかぐや姫は求婚を(あろうことか帝のですら)ズバズバと断っていく存在としてとりわけて輝いてみえたのでしょう。
差別的制度に対する女性たちのホンネ、そう、わたしはわたし。
わたしは誰のものでもないの。わたしをみて。生身のわたしを愛して。
男性が愛していたのは十二単の裳に包まれたものであって、生身ではなかったんですね。
スゴい時代だよなあ。

そんな古い時代の物語に現代的、そして男性的解釈を加えて再び産声をあげた高畑勲の「かぐや姫」ですが、最も大きく更改されたのは捨丸(すてまる)という名の男の子を加えた点です。この捨丸を加えることによって「かぐや姫」の物語にまったく別の解釈が与えられました。この解釈が“姫の犯した罪と罰”にあたるんですね。

これ、ネタバレという意味じゃなしになかなか語れないんですよ。
養老孟司が9年間400000文字を費やして「養老孟司の大言論」と題して3部作を刊行しましたが、そのラストを飾るシリーズ3の題が「大切なことは言葉にならない」ときたもんだからみんなズッコけたでしょ。でもね、やっぱり言葉にならないんですよね。

すげーもん見ちゃったな、としか言えないんですよ。
鑑賞前から予想はしてたんです。これは大切に育てた愛娘を送り出さなければいけない結婚式の日、涙をこらえて笑顔で送り出す父親の気分で、泣きながら家に帰るのだなあ、なんて。

1mm重なるところなく違いました。完膚なきまでに違うんです。
娘を育てていないので違うかどうかわかるはずもないですが、やっぱり全然違う。
京都に桂離宮という月をたのしむためだけに作られた離宮があるのですが、その桂離宮で池に映ったゆれる月を三日三晩見下ろし続けたい気分といいましょうか、憂鬱…ほら、憂鬱ってことばは一般的に使われるメランコリックな状態を指す意味と、実はもうひとつある状態を指す意味を持っています。

「草木が暗くなるほどに茂るその様」

こういう意味もあるんですね。人間にとってのそのメランコリック的な憂鬱のあり様と、自然にとっての成長してゆく強き憂鬱のあり様。同じことばなのに人と自然にそれぞれ当てはめてみるとこんなにも印象が違うんだなって思ってたんですけど。

今回かぐや姫を観て、自分のこころの中に人に当てる憂鬱と自然に当てる憂鬱が同居してる感覚があるんですよ。
これはひとつの発見でした。
感覚的なものをことばにしようとして出来ていないパターンですかね。
う〜ん、「大切なことは言葉にならない」


感覚的なものをことばにするのは僕には難しいので感情的な部分を書いたほうがいいですね。
僕はかぐや姫が嫌いです。
自然のなかで育てられた幼少時代に想いを馳せて、ほんとうは草木に囲まれて虫や鳥たちと共に暮らしたいの!ほんとうの自分は…ほんとうの自分はそこにあるの!

こういう「自然回帰」を盛り込むあたりがジブリらしくて好きではあるんですけど、それにしてもね、このおんな、とんだ食わせ者ですよ(笑)

つぎはぎだらけのオンボロ服を着て、糞尿あつめてそれ撒いて、糞尿で育てた作物食ってまた糞尿して。そんな自然のサイクルがかぐや姫にできるかね?
舗装もされていない獣道歩いて足裏ガチガチに固くなっちゃって、虫に吸われて刺されて肌ボロボロになって、髪の毛とかしてもとかしてもバッサバサ。季節の変わりゆく美しさに対比して、季節の変わりゆくごとに老いてゆく。そんな人と自然の有り様にかぐや姫よ、あなたはほんとうに耐えられるのかね?

ほんとうの自分を見てほしいと言うがかぐや姫よ、あなたこそ見たくないものを見ないように生きてきたじゃないか。

極めつけは幼なじみのおにいちゃん、捨丸にいちゃんとの再会。

「あなたとだったら、もっとちゃんと生きることができたかもしれない」

捨丸に妻子あることも知りながら、月に帰らなければいけないことも知りながら。その立場でそれ言います?このおんな…。

捨丸にいちゃんも捨丸にいちゃんでね、かぐや姫のこのことばを受けて

「逃げよう。いっしょにどこまでも」

捨丸、お前…。

言い忘れたんですけど、実は今回あえてレディースデイである水曜日に見ようって決めてたんですよ。ほら、かぐや姫の物語なんてレディの反応がいちばん正しいわけじゃないですか。だから公開直後の水曜なら女性が多いかなと思いまして。予想通りレディばかりでね、僕はレディたちに囲まれながら至福の鑑賞タイムだったわけです。で、上記の名場面ですよ。周囲からグスングスン聴こえてくるんですよ。えらく感動してるんですね。極上の純愛ものとして捉えてるんですかね?僕が観た回がたまたまそんな空気が充満していただけで、ほんとうはあの劇場はマジョリティではなかったんですかね?

ラース・フォン・トリアー監督が以前制作しました「メランコリア」という映画がありまして、この映画は地球に惑星が異常接近し衝突してしまう話なんですよ。地球滅亡を描いた作品なんですね。ジャスティンとクレアという姉妹がいまして、ジャスティンは重度の鬱病なんですよ。クレアはそんなジャスティンと暮らしてサポートするんですね。生活を続けていくうちに少しづつジャスティンの症状は和らいでいくんですが、時を同じくして惑星「メランコリア」が地球に接近し始めるんです。地球に衝突するんじゃないかと不安を抱えてインターネットでクレアは調べまくるんです。調べれば調べるほど地球に衝突する可能性が高いことが明らかになっていくんですね。クレアの不安がどんどん増幅していくのに反して、ジャスティンは和らいでいくんです。でもジャスティンは病気が回復しているわけじゃなくてこの世の終わり(鬱状態)をすでに体験し覚悟ができてるだけなんですよ。クレアが地球滅亡の瞬間に怯える様子をジャスティンは叱るんですね。「気をしっかり保ちなさい」って。この正常な状態と鬱状態が根本的には変わっていないのに入れ替わっていくってのがおもしろい映画なんですけどね。話を元に戻すと、劇場内で女性たちのすすり泣くそれをね、僕はおもいっきり憂鬱な状態で眺めていたんですね。ジャスティン状態ですよ。正常な女性たちが正常に感情を昂らせてゆく、季節がうつろいでゆくよう自然なその昂りを、僕はおもいっきり憂鬱に眺めていたんです。

そして映画は純愛シーンからラストシーンに一気に向かうわけです。
高畑勲自身これが最後の作品になるって自覚はあるはずですよね。年齢的にも。
そんな最後の最後のところでおもいっきりふざけるんです。
月からの使者たちがかぐや姫をお迎えにくるのですが、その映像がふざけてるんですね。
ここは本当に酷いんで是非観てほしいんですけど。
周囲で昂った感情が渦巻いてるなかで、ふざけた映像とふざけた音が流れるんです。
それで女性たちは「えっ?」って反応してるんですね。
昂った感情のやり場に困った感じで、どんどんしぼんでいっちゃうんです。
僕のほうはそれがおかしくてどんどんどんどん昂っちゃうんですね。
ジャスティン状態ですよ。


ジブリ史上最大の問題作ですよ。


そんな異常な状態をおもいっきり引いた場所から眺めていてふと、姫のおかした罪と罰がわかった気がしたんですよ。観客(女性たち)を散々振り回して、周囲を振り回して、ほんとうのわたしを見て見て見てーーーーって叫び続けた



【姫】ってだれだ?


「かぐや姫の物語」★9

座頭魄市orejiru at 00:56│コメント(0)トラックバック(0)映画  | このエントリーをはてなブックマークに追加

2013年11月27日

これは衝撃でした。

関野吉晴さんという方をこれまで知らなかったのですが、この「舟をつくる」で興味をもち、これまでの著書リストを見ました(未読)。医者で大学教授の冒険家、この男に心底惚れた。

簡単な略歴
大学在学中に探検部を創設してアマゾン全域踏査隊長としてアマゾン川全域を下る。
その後10年間以上にわたりアマゾン川源流や中央アンデス、パタゴニア、アタカマ高地、ギアナ高地など、南米への旅を重ねる。探検の最中に医療の必要性を感じ横浜市大医学部に入学。
医師となって、武蔵野赤十字病院、多摩川総合病院などに勤務。その間も南米通いを続ける。

1993年から、アフリカに誕生した人類がユーラシア大陸を通ってアメリカ大陸にまで拡散していった約5万3千キロの行程を、自らの脚力と腕力だけをたよりに遡行する旅「グレートジャーニー」を始める。南米最南端ナバリーノ島をカヤックで出発して以来、足かけ10年の歳月をかけて、2002年2月10日タンザニア・ラエトリにゴール。

2004年から、「新グレートジャーニー」をスタート。
シベリアを経由して稚内までの「北方ルート」、ヒマラヤからインドシナを経由して朝鮮半島から対馬までの「南方ルート」を終え、インドネシア・スラウェシ島から石垣島まで手作りの丸木舟による4700キロの航海「海のルート」は2011年6月13日にゴールした。


この「舟をつくる」は「新グレートジャーニー」でスラウェシ島から石垣島まで渡った「海のルート
で使用した舟をつくる行程をおさめた「男の子のための絵本」です。まず表紙からして男心に刺さるでしょ?


舟をつくる
前田 次郎
徳間書店
2013-02-09



武蔵野美術大学で文化人類学を教授している関野吉晴さんは学生たちに冒険を呼びかけるんです。集まった学生たちと共に舟をつくり始めるのですが、この行程が半端ない!
なにがスゴいって舟をつくるには斧などの道具が必要、よし、海辺にいって砂鉄を集めよう!

えっ?

古代も古代、鉄をつくる(製鉄)からスタートするんですよ。最大級のほめ言葉として言わせてもらいますが、ほんっとに頭おかしい。
でもこんな頭のおかしい教授と共に冒険できた学生たちが羨ましい。
関野吉晴さんの授業を受けた学生は休学率がすごく高いのだとか。そのまま大学に戻らない学生も多く、関野吉晴さんはその事をとても誇らしく感じているそうです。
そりゃそうですよね。30過ぎたおっさんですら関野吉晴さんの生き方に揺さぶられますから。

最近つくづく「足るを知る」ということばの強さ、みたいなものを感じています。先日炎上してましたBLOG「ちはるの森」は田舎で古民家に暮らし、狩りを楽しみ自給自足で生きる前時代的生活BLOG。お金を介さない生き方は、言ってしまえば前時代的でたしかに野蛮かもしれません。

けれども充分に満たされた時代に、こうして若者たちが足るを知りつつあることに希望を感じます。
関野吉晴さんは冒険をとおし、若者たちに「足るを知る」を教えているのかもしれません。関野吉晴さんの授業、受けてみたいなあ。

次はこの冒険の書「海のグレートジャーニーと若者たち4700キロの気づきの旅」を読んでみます。






座頭魄市orejiru at 13:28│コメント(0)トラックバック(0)  | このエントリーをはてなブックマークに追加

2013年11月26日

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結ぶ・しばる・包む大全―ひも・ロープ・ふろしき・手ぬぐい・和紙・ラッピング [単行本]

日常のシーンごとに分けられた全10章で結ばれた本書。
各章は下記のとおり
第1章 物を運ぶ、片付けるひも結び
第2章 インテリアに役立つ結び
第3章 庭とガーデニングで役立つ結び
第4章 アウトドアと遊びに関する結び
第5章 救急と防災に役立つ結び
第6章 装いとおしゃれに関する結び
第7章 料理や食材の保存に活かす結び
第8章 ふろしき、手ぬぐい、ナプキンで包む、たたむ
第9章 和紙を包む、結ぶ、たたむ
第10章 ラッピングの包む、結ぶ

例えば頻繁に結んでいる靴ひもの結びをとってみても、靴ごとに適した結び方がこんなにもあることに驚く。革靴、スニーカー、ジョギングシューズ、デッキシューズにブーツ。登山靴では登り用の結び方から下り用の結び方まで。靴の項目の結びでは、蝶結びがまだ難しい子どもにも出来る簡易蝶結びとその練習方法までもが収められている。
緊急時に必ず役立つ「結び」や料理に活かした「結び」など必要なものは全て抑えているうえに、女子力をアップさせる数々のかわいい「結び」から男子力を高めるかっこいいフンドシの「結び」まで範囲を広げている。これ以上の「結び」に特化した本は他にないだろう。

明日役立つかはわからないが、いつかは必ず役立つ本なので大事に保存しておきたい一冊。


座頭魄市orejiru at 12:45│コメント(0)トラックバック(0)  | このエントリーをはてなブックマークに追加

2013年11月17日

料理酒はあくまで日本酒の代用であって、ケチらずに日本酒使って料理した方が幸福度は高いよって話。

我が家ではチャーシューの使用頻度が異常に高く、毎週末チャーシュー仕込んでから月曜日を迎えるのが習慣化しています。これまで醤油、酒、味醂をそれなりに消費するのでなんとなく勿体ない感があって料理酒を使ってチャーシューを仕込んでいたのですが、よくよく考えてみるとなんで普段まずくて飲めない料理酒を、料理でだったら使ってOKというとんでもルールを設けて生きてきたのだろうと訳がわからなくなってしまいました。普段抱けない女もお酒入ったらOK言って歩いてるようなもんだよまったく。

写真


今回は普段飲んでいる日本酒でちゃんとチャーシューを作ってみた。
我が家のチャーシューレシピは
醤油:酒:味醂=1:1:1の割合で適量
玉葱大1
葱1本
人参大1本
林檎1個(※オススメ!)
はちみつ大さじ3

豚肉はバラ・もも・肩を気分で選ぶ。
形崩れしないよう凧糸で縛り表面を軽く焦げ目がつくようフライパンで焼く。
上記の具材を全て鍋に突っ込んで90〜120分煮込む。
その後火からおろして半日ほど放置して味を染み込ませたら完成。

写真手前がもも、写真奥が肩。

写真


やっぱり料理酒より日本酒なのね。
旨みがちがいました。

家族もその辺のラーメン屋より全然旨いと絶賛してくれます。もし(チャーシューに限らずですが)料理酒使っているのでしたら日本酒に変えてみましょう。


座頭魄市orejiru at 23:23│コメント(0)トラックバック(0)雑記  | このエントリーをはてなブックマークに追加
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