2013年10月
2013年10月18日
マンガですが二十代まではよく読んでいましたが、ここ数年はすっかり遠ざかっています。宝島社のマンガ紹介ムックこのマンガがすごい! をチェックしてからネットでそれについてやんややんや言うような2chスレ読んだのち、いくつかをまとめて読む程度はしていますがマンガ好きからすると全然読んでいません。
そんなわけで、これといってふるいにかけてもいない状態ではあるんだけどおもしろいマンガと出会ったのでお薦めします。
そのまえに一冊。
「銃・病原菌・鉄」読後以降は古代史への興味がずっと続いていて、営業先でもお薦め本などを聞いて回っています。いまの仕事を選んでよかったと思える点のひとつは出版社の方々と思う存分「本」に関する話ができることで、面白い本に出会える確率が他の業種よりも多いということですかね。ネット上で面白い本を紹介する人はいくらでもいるといえばそうなんですけど、それでも確率が高い感覚はあるんですよ。テキスト(整理整頓)化される前の生声にはなにかしらのパワーがあるんでしょうね。
それで古代への関心を示すと必ずといっていい確率でお薦めされる本があります。
作家塩野七生の「ローマ人の物語」です。
マンガでいえば僕ら世代で「スラムダンク」読んでいないとおまえはマジか!と鬼の形相で食ってかかる輩がいると思うんですけれども、勢いではそれに匹敵します。クッソおもしろいんだそうですよ。
読んでみたいと思いつつハードカバー全15巻、文庫版となると全43巻の大作に圧倒されて
「まあ…他にも読んでおきたい本があるのでまずはそちらから…」
と毎回なぜか、なにからか逃げてます。
この「ローマ人の物語」の中で特におもしろいと人気なのがハードカバー第二巻に収録されている「ハンニバル戦記」らしいのです。blog「わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる」でも「ローマ人の物語II 「ハンニバル戦記」の読みどころ」こちらの記事でハンニバル戦記を強く薦めておられました。こうなるともう読まない理由が見当たらないのですが、現在「シャンタラム」という2000ページの長編読んでいる最中だし、このあとは町田康の「告白」を控えているし、「大聖堂」も「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」だって読んでおきたいし、とか読みたい本が長編つづきで自家圧迫に陥っています。
そんな状態にタイミングよくこんな記事が目にとまり
『ジョジョの奇妙な冒険』 荒木飛呂彦が「お気に入りの映画・音楽・本」を発表
荒木飛呂彦お薦め本のなかにあるこのマンガと出会いました。
塩野七生作品「ハンニバル戦記」のファンたちが書いたレビューでは口を揃えてこちらのマンガも面白いと推しているようなので読んでみました。漫画家カガノミハチさんはこれが長編デビュー作だそうです。マンガの画力や構成については詳しくないので言及は避けておきますけど、内容はクソ面白いです!紀元前218年、この第二次ポエニ戦争を知りませんでしたがこんなおもしろい歴史的戦争を知らないのはもったいないです。ハンニバルの戦術は現在でも各国の軍隊が参考にしているそうで、戦術家として歴史上最も優れた人物としても挙げられるそうです。ローマ帝国の裏をかくアルプス越えは是非読んでほしい。
先日amazonでの割引キャンペーンで気になるマンガ1巻のみ大人買いをし、続きが気になるものは次回のキャンペーンで揃えようと待っている状態なマンガがいくつかありますが、このマンガだけは待てませんでした。おすすめマンガだよ!
同時に「ローマ人の物語」はマストだというのが身にしみたので2014年の課題図書とします。
そんなわけで、これといってふるいにかけてもいない状態ではあるんだけどおもしろいマンガと出会ったのでお薦めします。
そのまえに一冊。
「銃・病原菌・鉄」読後以降は古代史への興味がずっと続いていて、営業先でもお薦め本などを聞いて回っています。いまの仕事を選んでよかったと思える点のひとつは出版社の方々と思う存分「本」に関する話ができることで、面白い本に出会える確率が他の業種よりも多いということですかね。ネット上で面白い本を紹介する人はいくらでもいるといえばそうなんですけど、それでも確率が高い感覚はあるんですよ。テキスト(整理整頓)化される前の生声にはなにかしらのパワーがあるんでしょうね。
それで古代への関心を示すと必ずといっていい確率でお薦めされる本があります。
作家塩野七生の「ローマ人の物語」です。
マンガでいえば僕ら世代で「スラムダンク」読んでいないとおまえはマジか!と鬼の形相で食ってかかる輩がいると思うんですけれども、勢いではそれに匹敵します。クッソおもしろいんだそうですよ。
読んでみたいと思いつつハードカバー全15巻、文庫版となると全43巻の大作に圧倒されて
「まあ…他にも読んでおきたい本があるのでまずはそちらから…」
と毎回なぜか、なにからか逃げてます。
この「ローマ人の物語」の中で特におもしろいと人気なのがハードカバー第二巻に収録されている「ハンニバル戦記」らしいのです。blog「わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる」でも「ローマ人の物語II 「ハンニバル戦記」の読みどころ」こちらの記事でハンニバル戦記を強く薦めておられました。こうなるともう読まない理由が見当たらないのですが、現在「シャンタラム」という2000ページの長編読んでいる最中だし、このあとは町田康の「告白」を控えているし、「大聖堂」も「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」だって読んでおきたいし、とか読みたい本が長編つづきで自家圧迫に陥っています。
そんな状態にタイミングよくこんな記事が目にとまり
『ジョジョの奇妙な冒険』 荒木飛呂彦が「お気に入りの映画・音楽・本」を発表
荒木飛呂彦お薦め本のなかにあるこのマンガと出会いました。
塩野七生作品「ハンニバル戦記」のファンたちが書いたレビューでは口を揃えてこちらのマンガも面白いと推しているようなので読んでみました。漫画家カガノミハチさんはこれが長編デビュー作だそうです。マンガの画力や構成については詳しくないので言及は避けておきますけど、内容はクソ面白いです!紀元前218年、この第二次ポエニ戦争を知りませんでしたがこんなおもしろい歴史的戦争を知らないのはもったいないです。ハンニバルの戦術は現在でも各国の軍隊が参考にしているそうで、戦術家として歴史上最も優れた人物としても挙げられるそうです。ローマ帝国の裏をかくアルプス越えは是非読んでほしい。
先日amazonでの割引キャンペーンで気になるマンガ1巻のみ大人買いをし、続きが気になるものは次回のキャンペーンで揃えようと待っている状態なマンガがいくつかありますが、このマンガだけは待てませんでした。おすすめマンガだよ!
同時に「ローマ人の物語」はマストだというのが身にしみたので2014年の課題図書とします。
2013年10月14日
【ストーリー】
申し分のない学歴や仕事、良き家庭を、自分の力で勝ち取ってきた良多(福山雅治)。順風満帆な人生を歩んできたが、ある日、6年間大切に育ててきた息子が病院内で他人の子どもと取り違えられていたことが判明する。血縁か、これまで過ごしてきた時間かという葛藤の中で、それぞれの家族が苦悩し……。
【感想】
池袋サンシャインシティで鑑賞。感想の前に映画館での反応を書いておきます。レイトショーで観たのですが観客は40人弱ってとこで、男女比はきれいに半々。カップル、単身の男性、女性2人組がほとんど。僕は前方に座っていてエンドロールの後明るくなってから席を立ち、帰ろうと後ろを振り向くと全員女性が号泣していたんですよね。人目もはばからず顔をくしゃくしゃにして涙を流しておりました。ほんとに女性全員ですよ。これはちょっとスゴいぞと。ちょっとした事件だぞと感じましたね。結婚もしていて、子を育てた(育てている)経験をお持ちの方ならね、まあ分かるんですけど明らかにまだおつきあい始めたばかりでレイトショーのあとにまずは子作りからって感じの女性でさえボロボロ涙こぼしててね、女性視点でこの映画を観た完成度というのはその涙が全てを物語っていましたね。
一方男性の反応はというと窮地に追い込まれたかのように思い詰めた表情でね、放心状態なわけですよ。カップルの若い男性はオロオロしてたけれど、単身男性はこれもまたスゴい光景でありました。これから詳しく書いていきますがわたしもまた心にグッサグサ棘が刺さりまして、その棘の抜けぬまま帰宅することになってしまったのです。
良太(福山雅治)の家族構成は妻と1人の男の子。小学生入学を控えた6歳。都内にマンションを購入していて自家用車は新車のレクサス。部屋のインテリアが若干見劣りするのと洋服に高級感を感じないところから察すると推定年収800万円で背伸びをした暮らしをしたがるタイプ。でも順風満帆な人生を送っているいい男なわけです。イケメンですし、女性からすれば理想そのものって感じですよ。もちろんピアノも弾けちゃいますよね、当然ですよ。そして子どももピアノのお稽古。映画はそんな良太の子どもが私立小学校のお受験をするところから始まります。先生方の質問にもハキハキと答える優等生っぷりで、育ちの良さが見て取れるんです。良太が意識高い系の学歴主義なのが暮らしに現れています。
一方斎木(リリーフランキー)の家族構成は妻と3人の子ども。場所の設定はさいたまの奥地でしょうかね。親から継いだであろう電気屋のおっさんでして、珍しく客が入ったかと思えばダラダラ世間話して40Wの電球一個をやっと売るみたいな状況でね、外観ももうペンキ剥げかかってるし建て付け悪そうな家にぎゅうぎゅう詰めに暮らしてるんですよ。自家用兼社用車はいつガタがきてもよさそうな軽トラ。察すると推定年収子ども手当込みの200万円。容姿は岡本太郎にお題「残尿感」と出して作られた粘土細工みたいなもんで「あれ?リリーフランキーのそっくりさんかな」と思わせるみすぼらしい容姿。ポスターとは違ってみえます。
そんな2つの家族の子どもが実は病院のミスで取り違えてたと発覚します。血を取るか、過ごした時間を取るかの選択を迫られるわけです。流れとしては珍しいものでもないですし、この後の(良太の)父親としての葛藤も状況説明で概ね想像ついたかと思います。その想像は概ね当たっています。斎木の家は案の定といいますか放任主義で育てているので言葉遣いやマナーも微妙な、いわゆるクソガキなんですね。妻も煙草ぶかぶか吸うわ子どもの頭をぽかんぽかん叩くわで昭和の肝っ玉「かあちゃん」ばりに、色気も子どもと一緒に出産したわ、ガハハみたいなタイプで。良太からしたら関わりたくない人達なんですよ。そうなりたくないからこれまでずっと頑張ってきたわけでしょ。それなのに自分の(血縁では)本当の子が一番避けたかったクソガキ化してるってのはこれはきついものあるでしょう。
この事実を知らされた良太がね、車の中で悔しそうに一言洩らすんですね。
「やっぱりか…」
男性の方々はね、この一言の重さをもっと知るべきなんですけれども、つい洩らしがちですよね。僕も身に覚えがあってグサッと鈍い痛みが走りました。意識高い系は特にありがちで将来を見据えていろいろ思考を働かせてゆくなかで、その思考の中に“選択はしなかったけれども選択肢としてはあった考え”というのがいくつもあるわけです。不測の事態に立たされると、選択しなかったにも関わらずつい思考の中に一度はあったものだから「やっぱりか…」と口から出てしまうんですよね。
「だからあの病院はやめとけと言ったじゃないか」
と、良太はついに言ってしまうんですね。頭の回転がいいがゆえに陥りやすいわけです。
しまいには
「なんで自分の子なのに気付かなかったんだ」
と問いつめるわけです。
「なんで自分の子なのに気付かなかったんだ」はさすがに特大すぎるブーメランですし、それはないだろうと気付けるレベルですけれども、重要なのはやはり最初の「やっぱりか…」というはじめの思考レベルです。「なんで〜」は血の昇った状態でのただの罵倒で、女性としても「おまえが言うな」と冷静なツッコミを内々に済ませて消化する余地を残してありますが(でも言っちゃだめ、ぜったい)精神的ダメージはそれよりもむしろ「やっぱりか…」という冷静な思考状態から使われやすい言葉の方が大きく、女性には根深く残ってしまうものです。
序盤で「やっぱりか…」という言葉を洩らした良太に観客は違和感を覚え、それから少しづつ良太の未熟な面が見え始めます。当初の結婚したい人の理想像と見た夢から冷めてゆっくりと良太の違和感を進んで探すようになるんですね。是枝監督の技が光ります。
すごく印象的だったシーンがあります。互いの家族が話し合っていく中で、お互いの息子をまずは1日交換してお泊まりして様子をみましょうってなるんです。その初日なんですけどね、良太の家では豪華なすき焼きが用意されるわけですよ。おまえはこんなええ肉食ったことないだろうと言わんばかりに主張するええ肉です。その食卓でですね、良太はなにを考えたのか箸の持ち方を指導するんですね。良太の性格をたったそれだけで表しているわけですよ。はじめてのお泊まりですよ?こんな特別な夜にそこ気になるん?別にええやん。もっともっと見ていたい表情しぐさいっぱいあるやん。でも血縁上では本当の息子なわけで、教育のいたらなさ具合が許せなかったんでしょうね。こういったちっちゃいプライドというのが僕の中にも少なからず潜んでいるわけでして、このシーン1つで棘がグサグサ刺さりました。
一方斎木の家ですよ。狭い風呂に家族揃って膝折り曲げて入ってね、良太の息子も初体験なわけですよ、お肌とお肌が密着した環境というのは。すました顔で入っているんですけれど突如斎木のおっさんがね、じぶんの胸を指差してここを押せ、と。押すと湯船のきったないお湯が斎木のおっさんの口からびゅぅ〜っと顔めがけて飛んでくるんです。もうびっくりしてリアクション取れないでいると斎木のおっさんはもう一度強いるわけです。押せ、と。いいからここを押せ、と。言われるまま押すとやっぱり斎木のおっさんの口から湯が出るんですよ。これをね、笑うまでやる。この対比がね、僕はどちらかというと、いやかなり良太タイプに我が子と向き合ってきたわけでして、鈍痛ですよ鈍痛。
ほんとは斎木のおっさんタイプに生きてきたくせにね、それを棚に上げて良太タイプに接してしまっていたことに気がついたんです。ここでようやくですよ。
父親ってなんだ?
素朴でいて実に難解な問いを観客は自分自身に問い始めるんです。
ここから先はですね、各々が問いかけ、映画を通じて各々が探すんです。ひとつひとつは取り立てることもないような細かい日常の1コマが積み重なり、観客はそこに父親ってなんだ?を探すことになります。映画のなかで良太も一生懸命探します。自分の父に、母に柄でもなく電話なんかしたり。どこかに父親の“正しい”姿を求めてゆくんですね。斎木のおっさんはね、探しもしないですよ。答えを買う金もなければ考える暇すらないんですよ。その対比に微かなヒントが見えてくるのです。
「そして父になる」
子どもが出来た時点で父になると思っていませんでしょうか?
僕は思っていましたね、恥ずかしながら。けれどもそれは違うんですね。
母親は強いもので、子どもを宿して母親となるものです。
女に生まれた時からすでに母親としての素質を持ち準備を整えていくんですよ。
けれども僕ら男ってのは違うんですよ。
父になるために誰しもが通る心の葛藤を、とても丁寧に描いている映画です。
来年小学生になる一人息子をもつ父親である僕は、このタイミングでこの映画を見れたことはとてもラッキーでした。今年一番考えさせられた映画でしたし、他の方にとってもそうなるであろう素晴らしい映画ですので、是非劇場に足を運んでみてはいかがでしょうか。
「そして父になる」★9
2013年10月11日
今回紹介する本のまえにこれまで読んだ数学を題材にした本でおもしろかったものを2冊。
数学数学していないので数学が苦手な人にもすんなり読める本。
これはとても面白かったです。女性に永く愛されるであろうラブストーリーの傑作ですね。
映画の方も鑑賞しましたがよく出来ていますので未見の方は是非。
それともう一冊はこちら。
数年前に友人からクソおもしろい本があると薦められて手に取りましたが、ほんとにクソおもしろかった!もう何年も前の読書体験ですが思い出すだけで鳥肌がたつ名著です。息子に読んでもらいたい本を10冊選ぶならまず1冊これはいれておきたい。
先に紹介した本に比べてググッと数学に寄った本ですが、数学アレルギーで定義とか全くわからない人でも数学やべーってなるので騙されたと思って読んでみてほしい。簡単に紹介しますと
「3 以上の自然数 n について、Xのn乗+ Yのn乗 = Zのn乗 となる 0 でない自然数 (X, Y, Z) の組み合わせが存在しない」
これがフェルマーの最終定理と呼ばれる問題です。(意味不明でも2.3.5.7...だいじょうぶ!)
17世紀フランスの数学者フェルマーはなにを血迷ったかノートの隅にですよ
「この定理に関して、私は真に驚くべき証明を見つけたが、この余白はそれを書くには狭すぎる」
こう書き残してこの世を去ったんですね。このメモのせいで数多の天才数学者たちがフェルマーの定理を証明するために人生をかけて挑むわけです。この孤高の定理、なんとなーく簡単そうにみえて超やっかい。全然証明できないんですね。どれだけ厄介なのかは読み進めるうちにわかります。挑戦した天才たちの苦悩と挫折がね、読者の心にしみていきます。けれども全く歯が立たないわけじゃないんです。多くの天才たちが挑み、この難問を崩してみせるヒントを見つけていくんです。これがほんとにおもしろい!
理解できなくてもいいんです。ドラマがおもしろいですから。
ある者が証明のための架け橋となる公式を見出し、次の者へバトンを繫いでいくんです。
何年も何年もかけ——
そうして350年、350年ですよ奥さん。気の遠くなるような歳月を費やしついに1993年。
ひとりの天才がこのリレーにピリオドを打ったのです。
イギリスの数学者アンドリュー・ワイルズはケンブリッジ大学にて聴衆見守るなか、ついにフェルマーの最終定理を証明したんですね。
このカタルシスたるや。
わたしも定理については理解出来ませんでしたけれども、数学という学問がどれほど魅力に溢れているかというのはものすっごい理解出来ました。数学から距離を置いているかたは是非とも読んでいただきたい一冊でした。
本題にはいります。
仮にあなたが「フェルマーの最終定理」を読み終わっていたのだとしたら、おそらくタイトルを聞いただけでamazonへ飛び、ぽちっと購入ボタンを押してしまうであろう一冊。タイトルは
「素数の音楽」ゴゴゴゴゴゴゴゴ
そうです。何度助けられたことか、この素数に。
と、思う人はそうそういらっしゃらないと思いますが、この本のテーマはずばり「素数」です。
先月文庫化されたばかりのこの本、久しぶりにジャケ買いしてしまったわけですがこれが超当たり本!
「フェルマーの最終定理」とはテーマが違うので読んでいなければならないわけではありませんが、既読の方なら間違いなくあの夢のつづきを味わえると断言しておきます。未読のかたはこちらから数学の世界に入ってみて、気に入ったら「フェルマー」でカタルシスを味わってみるのもいいでしょう。
フェルマー既読組は既にこのblogから離れamazonへと流れていったわけですが。
少し話を変えましょう。
ドイツの皇帝に「赤髭王フリードリヒ」と呼ばれ非常に慕われた王がいました。
第三次十字軍で死んだこの皇帝についてひとつの言い伝えがあります。
赤髭王は実は生きている。キフホイザー山中の洞窟で眠っており、ドイツという国が自分を必要とする時、その眠りから覚める。
ドイツの天才数学者「ヒルベルト」に或る日、ひとつの質問がされました。
「もし赤髭王のように500年の眠りから覚めたとしたら、君はいったいなにをする?」
ヒルベルトはこう答えたそうです。
「質問をする。リーマン予想は証明されたかね?」
「フェルマーの最終定理」に決着がつき、数学界が歓喜に包まれたその瞬間も、数学者たちの胸の内にあった考えは、フェルマーの最終定理が証明されても世界を一変させることは出来ない。ほんとうに意義のある証明「リーマン予想」の証明こそ人類が目指すべき挑戦なのだ、と。世界の真理の証明といってもいいもの、それが「リーマン予想」なのです。「リーマン予想」とは数学の最も基本的な「素数」を理解する試みです。日常でいえば先ほどフェルマー既読組が向かった先で、今頃「リーマン予想」を使っているはずです。クレジットカードの暗号化に「リーマン予想」が使われているんですね。
素数というのは2.3.5.7.11.13.......と、1と自分の数でしか割ることが出来ない数字のことです。
素数は完璧な秩序が保たれた数学の世界において、次の素数がいつ出てくるのか一切予測が出来ないという矛盾した数字。歴史は長く、なんと紀元前の古代ギリシャ人が素数を発見し(発見については2万年も前に存在したなど諸説あり)理解しようと試みました。
フェルマーの最終定理でも突破口を切り開いた18世紀最大の物理学者であり天文学者でもある数学者「オイラー」は素数に関してこんな言葉を残しています。
「この世には、人知ではうかがい知れない神秘が存在する。そのことを得心したければ、素数の表を一目見ればいい。そうすれば、そこには秩序も規則もないことがわかるだろう」
つまり、素数の理解は神の領域であり、宇宙を理解するのに等しいわけです。
しかし19世紀ドイツの数学者ガウスは素数を別の視点で見てひとつの発見をします。
素数表で見ても不規則である素数でありましたが、マクロ視点では法則があるように見えるのです。
どういう事かといいますと
1から10までの間に素数が何個あるか。
答えは4個です。
では1から100までだと?
答えは25個です。1から1000までは168個。
グラフ化すると…。
素数を音楽に例えるとわかりやすくなります。
1つ1つの音ではなく、音楽全体の構成を聴いてみると、そこに強烈な法則性が見えてきたのです。
素数の全体像は音楽を奏でていたのです。
この発表に世界中の数学者が再び注目をしました。
法則性などない。紀元前からさんざんいじり回してきた先人たちの結論でした。
しかしガウスがこのマクロ視点を発表したことで大きく前進していきます。
この数学と音楽の親和性については、元をたどると古代ギリシャ人に辿り着きます。
ピタゴラスイッチという言葉で馴染みのある方も多いでしょうピタゴラス。
彼が最初に数学と音楽の関係性に気付きました。
ピタゴラスは水をいっぱいに入れた壷を槌で叩いて音を出しました。
次に水を半分にしてもう一度叩いたところ、音は1オクターブあがりました。
さらに水を減らし、3分の1、4分の1、と減らして叩くと水のいっぱい入った壷を叩いた音と調和することを発見したのです。それに気付いたピタゴラスは宇宙は音楽が統べていると悟り、「天空の音楽」という言葉を作ったのです。残念ながらピタゴラスは素数の音楽を聴くことが出来なかったのですが。この数学と音楽の親和性を時代を超えて再び注目させたのがガウスです。
このガウスを尊敬し、数学の世界に入ってきたのがリーマンでした。
のちに「リーマン予想」となるそのアイデアは世界の見方を大きく変えるものでした。
簡略化して書いてしまいますと、数学でグラフを使うことがありますね。
このグラフというのは三次元のものを二次元に落とし込んでみています。
二次元とは三次元の世界を映す鏡です。影と言ってもいいでしょう。
つまり三次元の影を見ることで三次元を捉えようという試みですね。
リーマンは四次元のものを三次元に落とし込んで影を見ようとした人です。
これが「ゼータ関数」と呼ばれるものです。
ちょっと話がややこしくなってきましたでしょうか。
2.3.5.7.....だいじょうぶです。
わたしも「ゼータ関数」と言われて連想するものは「ゼータガンダム」でした。
「ゼータ関数」の説明を引用しようか迷いましたが、これは本書の醍醐味でもありますのでごめんなさい。
丁寧な解説で読者を導いてくれますし、理解した時の全能感を是非ご賞味ください。
ちなみにこのゼータ関数を土台にしてアインシュタインは相対性理論というさらに別次元の扉を開いたのですから、そのアイデアがいかに優れているか察しがつくでしょう。
ガウスが聞き、そしてバトンを渡されたリーマンは素数の音楽性を確かなものとしました。
こうして素数の音楽性が発表された後、その音楽を聴くために世界中の数学者が素数の世界へと導かれていくのです。
そろそろいいでしょう。
世界は数字で構築されています。
今お使いのコンピューターも、そのオフィスのある建築物も、その乗り物も。
全ては数学者が解を導き出したすえ、この世界に反映されたものです。
わたしたちが何故音楽に癒されるのか
それは矛盾に満ちた素数の中に、自然の中に答えがあったのです。
古くは2000年以上前、理解不能の素数はもちろん今も完全に証明は出来ていません。
ですが「リーマン予想」を通して壮大な大自然が奏でるアンサンブルを聴くことは出来ます。
どうか落ち着いてください。
落ち着いて考えれば必ずわかるはずです。
この本を読まないという選択肢がほんとうにあるとでもおもうのか?
数学数学していないので数学が苦手な人にもすんなり読める本。
これはとても面白かったです。女性に永く愛されるであろうラブストーリーの傑作ですね。
映画の方も鑑賞しましたがよく出来ていますので未見の方は是非。
それともう一冊はこちら。
数年前に友人からクソおもしろい本があると薦められて手に取りましたが、ほんとにクソおもしろかった!もう何年も前の読書体験ですが思い出すだけで鳥肌がたつ名著です。息子に読んでもらいたい本を10冊選ぶならまず1冊これはいれておきたい。
先に紹介した本に比べてググッと数学に寄った本ですが、数学アレルギーで定義とか全くわからない人でも数学やべーってなるので騙されたと思って読んでみてほしい。簡単に紹介しますと
「3 以上の自然数 n について、Xのn乗+ Yのn乗 = Zのn乗 となる 0 でない自然数 (X, Y, Z) の組み合わせが存在しない」
これがフェルマーの最終定理と呼ばれる問題です。(意味不明でも2.3.5.7...だいじょうぶ!)
17世紀フランスの数学者フェルマーはなにを血迷ったかノートの隅にですよ
「この定理に関して、私は真に驚くべき証明を見つけたが、この余白はそれを書くには狭すぎる」
こう書き残してこの世を去ったんですね。このメモのせいで数多の天才数学者たちがフェルマーの定理を証明するために人生をかけて挑むわけです。この孤高の定理、なんとなーく簡単そうにみえて超やっかい。全然証明できないんですね。どれだけ厄介なのかは読み進めるうちにわかります。挑戦した天才たちの苦悩と挫折がね、読者の心にしみていきます。けれども全く歯が立たないわけじゃないんです。多くの天才たちが挑み、この難問を崩してみせるヒントを見つけていくんです。これがほんとにおもしろい!
理解できなくてもいいんです。ドラマがおもしろいですから。
ある者が証明のための架け橋となる公式を見出し、次の者へバトンを繫いでいくんです。
何年も何年もかけ——
そうして350年、350年ですよ奥さん。気の遠くなるような歳月を費やしついに1993年。
ひとりの天才がこのリレーにピリオドを打ったのです。
イギリスの数学者アンドリュー・ワイルズはケンブリッジ大学にて聴衆見守るなか、ついにフェルマーの最終定理を証明したんですね。
このカタルシスたるや。
わたしも定理については理解出来ませんでしたけれども、数学という学問がどれほど魅力に溢れているかというのはものすっごい理解出来ました。数学から距離を置いているかたは是非とも読んでいただきたい一冊でした。
本題にはいります。
仮にあなたが「フェルマーの最終定理」を読み終わっていたのだとしたら、おそらくタイトルを聞いただけでamazonへ飛び、ぽちっと購入ボタンを押してしまうであろう一冊。タイトルは
「素数の音楽」ゴゴゴゴゴゴゴゴ
そうです。何度助けられたことか、この素数に。
と、思う人はそうそういらっしゃらないと思いますが、この本のテーマはずばり「素数」です。
先月文庫化されたばかりのこの本、久しぶりにジャケ買いしてしまったわけですがこれが超当たり本!
「フェルマーの最終定理」とはテーマが違うので読んでいなければならないわけではありませんが、既読の方なら間違いなくあの夢のつづきを味わえると断言しておきます。未読のかたはこちらから数学の世界に入ってみて、気に入ったら「フェルマー」でカタルシスを味わってみるのもいいでしょう。
フェルマー既読組は既にこのblogから離れamazonへと流れていったわけですが。
少し話を変えましょう。
ドイツの皇帝に「赤髭王フリードリヒ」と呼ばれ非常に慕われた王がいました。
第三次十字軍で死んだこの皇帝についてひとつの言い伝えがあります。
赤髭王は実は生きている。キフホイザー山中の洞窟で眠っており、ドイツという国が自分を必要とする時、その眠りから覚める。
ドイツの天才数学者「ヒルベルト」に或る日、ひとつの質問がされました。
「もし赤髭王のように500年の眠りから覚めたとしたら、君はいったいなにをする?」
ヒルベルトはこう答えたそうです。
「質問をする。リーマン予想は証明されたかね?」
「フェルマーの最終定理」に決着がつき、数学界が歓喜に包まれたその瞬間も、数学者たちの胸の内にあった考えは、フェルマーの最終定理が証明されても世界を一変させることは出来ない。ほんとうに意義のある証明「リーマン予想」の証明こそ人類が目指すべき挑戦なのだ、と。世界の真理の証明といってもいいもの、それが「リーマン予想」なのです。「リーマン予想」とは数学の最も基本的な「素数」を理解する試みです。日常でいえば先ほどフェルマー既読組が向かった先で、今頃「リーマン予想」を使っているはずです。クレジットカードの暗号化に「リーマン予想」が使われているんですね。
素数というのは2.3.5.7.11.13.......と、1と自分の数でしか割ることが出来ない数字のことです。
素数は完璧な秩序が保たれた数学の世界において、次の素数がいつ出てくるのか一切予測が出来ないという矛盾した数字。歴史は長く、なんと紀元前の古代ギリシャ人が素数を発見し(発見については2万年も前に存在したなど諸説あり)理解しようと試みました。
フェルマーの最終定理でも突破口を切り開いた18世紀最大の物理学者であり天文学者でもある数学者「オイラー」は素数に関してこんな言葉を残しています。
「この世には、人知ではうかがい知れない神秘が存在する。そのことを得心したければ、素数の表を一目見ればいい。そうすれば、そこには秩序も規則もないことがわかるだろう」
つまり、素数の理解は神の領域であり、宇宙を理解するのに等しいわけです。
しかし19世紀ドイツの数学者ガウスは素数を別の視点で見てひとつの発見をします。
素数表で見ても不規則である素数でありましたが、マクロ視点では法則があるように見えるのです。
どういう事かといいますと
1から10までの間に素数が何個あるか。
答えは4個です。
では1から100までだと?
答えは25個です。1から1000までは168個。
グラフ化すると…。
素数を音楽に例えるとわかりやすくなります。
1つ1つの音ではなく、音楽全体の構成を聴いてみると、そこに強烈な法則性が見えてきたのです。
素数の全体像は音楽を奏でていたのです。
この発表に世界中の数学者が再び注目をしました。
法則性などない。紀元前からさんざんいじり回してきた先人たちの結論でした。
しかしガウスがこのマクロ視点を発表したことで大きく前進していきます。
この数学と音楽の親和性については、元をたどると古代ギリシャ人に辿り着きます。
ピタゴラスイッチという言葉で馴染みのある方も多いでしょうピタゴラス。
彼が最初に数学と音楽の関係性に気付きました。
ピタゴラスは水をいっぱいに入れた壷を槌で叩いて音を出しました。
次に水を半分にしてもう一度叩いたところ、音は1オクターブあがりました。
さらに水を減らし、3分の1、4分の1、と減らして叩くと水のいっぱい入った壷を叩いた音と調和することを発見したのです。それに気付いたピタゴラスは宇宙は音楽が統べていると悟り、「天空の音楽」という言葉を作ったのです。残念ながらピタゴラスは素数の音楽を聴くことが出来なかったのですが。この数学と音楽の親和性を時代を超えて再び注目させたのがガウスです。
このガウスを尊敬し、数学の世界に入ってきたのがリーマンでした。
のちに「リーマン予想」となるそのアイデアは世界の見方を大きく変えるものでした。
簡略化して書いてしまいますと、数学でグラフを使うことがありますね。
このグラフというのは三次元のものを二次元に落とし込んでみています。
二次元とは三次元の世界を映す鏡です。影と言ってもいいでしょう。
つまり三次元の影を見ることで三次元を捉えようという試みですね。
リーマンは四次元のものを三次元に落とし込んで影を見ようとした人です。
これが「ゼータ関数」と呼ばれるものです。
ちょっと話がややこしくなってきましたでしょうか。
2.3.5.7.....だいじょうぶです。
わたしも「ゼータ関数」と言われて連想するものは「ゼータガンダム」でした。
「ゼータ関数」の説明を引用しようか迷いましたが、これは本書の醍醐味でもありますのでごめんなさい。
丁寧な解説で読者を導いてくれますし、理解した時の全能感を是非ご賞味ください。
ちなみにこのゼータ関数を土台にしてアインシュタインは相対性理論というさらに別次元の扉を開いたのですから、そのアイデアがいかに優れているか察しがつくでしょう。
ガウスが聞き、そしてバトンを渡されたリーマンは素数の音楽性を確かなものとしました。
こうして素数の音楽性が発表された後、その音楽を聴くために世界中の数学者が素数の世界へと導かれていくのです。
そろそろいいでしょう。
世界は数字で構築されています。
今お使いのコンピューターも、そのオフィスのある建築物も、その乗り物も。
全ては数学者が解を導き出したすえ、この世界に反映されたものです。
わたしたちが何故音楽に癒されるのか
それは矛盾に満ちた素数の中に、自然の中に答えがあったのです。
古くは2000年以上前、理解不能の素数はもちろん今も完全に証明は出来ていません。
ですが「リーマン予想」を通して壮大な大自然が奏でるアンサンブルを聴くことは出来ます。
どうか落ち着いてください。
落ち着いて考えれば必ずわかるはずです。
この本を読まないという選択肢がほんとうにあるとでもおもうのか?
2013年10月07日
「幻想の古代史」読みました。
古代史への理解を深めようとこの書を手にとりインターネットの参考文献をたびたび拾いながら読み進めていたら、結構な時間を消費しました。3週間近くかかりましたが以前読んだ「銃・病原菌・鉄」で学んだ知識を肉付きいいものに出来た感触があります。
この本のおもしろいところは捏造の歴史をメインとしているところ。世界各地でどのような考古学的物質が出土したのかだけにスポットを当てるのではなく、どのような捏造品が作られてきたのかを紐解いていきます。捏造品というのは民衆が最も求めているものでなくてはいけません。「何が出土したか」よりも「何が出土すれば人々は喜ぶのか」が捏造を成功させるポイントなのだと説きます。人々が欲しがるものを与えよ。「ムー」の熱狂的読者だった身としてはところどころで脇汗かくポイントがありましたが、概ね懐疑的判断が身についたといえるレベルに達した気がします。とりわけ面白かったのはキリスト教勢力による捏造の数々。こじつけられた品も並べていくと結構おもしろいですね。
民衆を魅了する捏造品はたしかに欲しかった物語を含んでいるしロマンチックであるのだけれど、ほんとうの歴史をたしかなものにするために活動をしている考古学者や歴史家の方々の実績は、知れば知るほど作られた物語よりも輝いていることに気付きます。
以下にもくじを列挙しておきます。
(上巻)
第一章 科学と疑似科学
信じられないものを信じてしまう心
魔術師たちの朝
疑似科学と考古学
この本の目的
よくある質問
参考になるウェブサイト
批判的に考えるための練習問題
第二章 認識論ー何かを知っているとはどういうことか
知るということ
科学ールールに則ったゲーム
科学のしくみ
産褥熱の解明
科学と非科学
科学の方法
科学と考古学
よくある質問
参考になるウェブサイト
批判的に考えるための練習問題
第三章 考古学における捏造の構造
カーディフの巨人ーニューヨークで発見されたゴリアテ
発見
捏造の理由
現在の視点からー捏造をどう捉えるか
よくある質問
参考になるウェブサイト
批判的に考えるための練習問題
第四章 ドーソンのドーン・マンーピルトダウン事件
進化という文脈
サセックスでの大発見
ピルトダウンの謎
捏造の解明
犯人は誰か?
ピルトダウン事件の教訓
現在の視点からー人類の進化
よくある質問
参考になるウェブサイト
批判的に考えるための練習問題
第五章 アメリカを発見したのは誰か
アメリカの最初の人々
インディアン以後、コロンブス以前
アメリカのヨーロッパ人ースカンジナビア人によるアメリカの発見
その他の航海、訪問者たち
紀元前のアメリカ?
現在の観点からーアメリカ大陸への入植
よくある質問
参考になるウェブサイト
批判的に考えるための練習問題
第六章 マウンドビルダーをめぐる神話
失われた種族の神話
マウンドビルダーとは何者だったのか?ー失われた種族を求めて
失われた種族の神話が生まれた根本的な理由
現在の観点からーマウンドビルダーたち
よくある質問
参考になるウェブサイト
批判的に考えるための練習問題
(下巻)
第七章 ロストー失われた大陸
アトランティスはどこに?
アトランティスー伝説の源泉
プラトン以後
現在の観点からーアトランティス
よくある質問
参考になるウェブサイト
批判的に考えるための練習問題
第八章 先史時代のE.Tー「古代の宇宙飛行士」幻想
火の戦車に乗った神々
火星の考古学
現在の観点からーフォン・デニケン現象
よくある質問
参考になるウェブサイト
批判的に考えるための練習問題
第九章 謎に包まれたエジプト
人間はいつ、そんなに頭が良くなったのか
古代エジプト
ボスニアにピラミッドがある?
現在の観点からーピラミッドの秘密
よくある質問
参考になるウェブサイト
批判的に考えるための練習問題
第十章 グッド・バイブレーションズー超能力者とダウザー
サイキック考古学
ダウジングは有効か?
現在の観点からー土を掘り返さない考古学
よくある質問
参考になるウェブサイト
批判的に考えるための練習問題
第十一章 古い宗教とニューエイジのビジョン
創造論
トリノの聖骸布
エルサレムの骨箱
ニューエイジ運動家にとっての先史時代
現在の観点からー新旧の宗教について
よくある質問
参考になるウェブサイト
批判的に考えるための練習問題
第十二章 本当の過去、真の謎
ヨーロッパの洞窟に壁画を残した人々
マヤ文明
ストーンヘンジ
結論ーわれわれにふさわしい過去
よくある質問
参考になるウェブサイト
批判的に考えるための練習問題
※※※
本書で紹介されている参照ウェブサイトはかなりリンク切れをおこしていました。
この本で紹介されたものではありませんが、現在読んでいる本で紹介されていた出土品が初めて耳にしたもので胸が熱くなったので載せておきます。もしかして有名??
Wikipediaーイシャンゴの骨
アフリカ・コンゴで発見された後期旧石器時代の骨角器である。骨の年代はおよそ2万年前で、大きさの異なる刻み目が3列に亘って骨につけられている。この刻み目の数が、ある列は素数だけであったり、別の列では掛け算などを示唆するような内容であったため、発見以来数学的に意義のある考古学的証拠とされてきたが、一方でこの数に数学的な意味はないとする指摘もある。
二万年前に素数を理解していたとか胸熱。
古代史への理解を深めようとこの書を手にとりインターネットの参考文献をたびたび拾いながら読み進めていたら、結構な時間を消費しました。3週間近くかかりましたが以前読んだ「銃・病原菌・鉄」で学んだ知識を肉付きいいものに出来た感触があります。
この本のおもしろいところは捏造の歴史をメインとしているところ。世界各地でどのような考古学的物質が出土したのかだけにスポットを当てるのではなく、どのような捏造品が作られてきたのかを紐解いていきます。捏造品というのは民衆が最も求めているものでなくてはいけません。「何が出土したか」よりも「何が出土すれば人々は喜ぶのか」が捏造を成功させるポイントなのだと説きます。人々が欲しがるものを与えよ。「ムー」の熱狂的読者だった身としてはところどころで脇汗かくポイントがありましたが、概ね懐疑的判断が身についたといえるレベルに達した気がします。とりわけ面白かったのはキリスト教勢力による捏造の数々。こじつけられた品も並べていくと結構おもしろいですね。
民衆を魅了する捏造品はたしかに欲しかった物語を含んでいるしロマンチックであるのだけれど、ほんとうの歴史をたしかなものにするために活動をしている考古学者や歴史家の方々の実績は、知れば知るほど作られた物語よりも輝いていることに気付きます。
以下にもくじを列挙しておきます。
(上巻)
第一章 科学と疑似科学
信じられないものを信じてしまう心
魔術師たちの朝
疑似科学と考古学
この本の目的
よくある質問
参考になるウェブサイト
批判的に考えるための練習問題
第二章 認識論ー何かを知っているとはどういうことか
知るということ
科学ールールに則ったゲーム
科学のしくみ
産褥熱の解明
科学と非科学
科学の方法
科学と考古学
よくある質問
参考になるウェブサイト
批判的に考えるための練習問題
第三章 考古学における捏造の構造
カーディフの巨人ーニューヨークで発見されたゴリアテ
発見
捏造の理由
現在の視点からー捏造をどう捉えるか
よくある質問
参考になるウェブサイト
批判的に考えるための練習問題
第四章 ドーソンのドーン・マンーピルトダウン事件
進化という文脈
サセックスでの大発見
ピルトダウンの謎
捏造の解明
犯人は誰か?
ピルトダウン事件の教訓
現在の視点からー人類の進化
よくある質問
参考になるウェブサイト
批判的に考えるための練習問題
第五章 アメリカを発見したのは誰か
アメリカの最初の人々
インディアン以後、コロンブス以前
アメリカのヨーロッパ人ースカンジナビア人によるアメリカの発見
その他の航海、訪問者たち
紀元前のアメリカ?
現在の観点からーアメリカ大陸への入植
よくある質問
参考になるウェブサイト
批判的に考えるための練習問題
第六章 マウンドビルダーをめぐる神話
失われた種族の神話
マウンドビルダーとは何者だったのか?ー失われた種族を求めて
失われた種族の神話が生まれた根本的な理由
現在の観点からーマウンドビルダーたち
よくある質問
参考になるウェブサイト
批判的に考えるための練習問題
(下巻)
第七章 ロストー失われた大陸
アトランティスはどこに?
アトランティスー伝説の源泉
プラトン以後
現在の観点からーアトランティス
よくある質問
参考になるウェブサイト
批判的に考えるための練習問題
第八章 先史時代のE.Tー「古代の宇宙飛行士」幻想
火の戦車に乗った神々
火星の考古学
現在の観点からーフォン・デニケン現象
よくある質問
参考になるウェブサイト
批判的に考えるための練習問題
第九章 謎に包まれたエジプト
人間はいつ、そんなに頭が良くなったのか
古代エジプト
ボスニアにピラミッドがある?
現在の観点からーピラミッドの秘密
よくある質問
参考になるウェブサイト
批判的に考えるための練習問題
第十章 グッド・バイブレーションズー超能力者とダウザー
サイキック考古学
ダウジングは有効か?
現在の観点からー土を掘り返さない考古学
よくある質問
参考になるウェブサイト
批判的に考えるための練習問題
第十一章 古い宗教とニューエイジのビジョン
創造論
トリノの聖骸布
エルサレムの骨箱
ニューエイジ運動家にとっての先史時代
現在の観点からー新旧の宗教について
よくある質問
参考になるウェブサイト
批判的に考えるための練習問題
第十二章 本当の過去、真の謎
ヨーロッパの洞窟に壁画を残した人々
マヤ文明
ストーンヘンジ
結論ーわれわれにふさわしい過去
よくある質問
参考になるウェブサイト
批判的に考えるための練習問題
※※※
本書で紹介されている参照ウェブサイトはかなりリンク切れをおこしていました。
この本で紹介されたものではありませんが、現在読んでいる本で紹介されていた出土品が初めて耳にしたもので胸が熱くなったので載せておきます。もしかして有名??
Wikipediaーイシャンゴの骨
アフリカ・コンゴで発見された後期旧石器時代の骨角器である。骨の年代はおよそ2万年前で、大きさの異なる刻み目が3列に亘って骨につけられている。この刻み目の数が、ある列は素数だけであったり、別の列では掛け算などを示唆するような内容であったため、発見以来数学的に意義のある考古学的証拠とされてきたが、一方でこの数に数学的な意味はないとする指摘もある。
二万年前に素数を理解していたとか胸熱。