2013年05月
2013年05月18日
保坂和志の小説の自由 (中公文庫) [Kindle版]を読んだ。わたしは文章を読みながら情景を映像として出力しながら読みすすめる側(もう片側は言葉を言葉のまま読みすすめる)の読者だ。わたしと同じタイプの読者には多少引っかかりを感じられるかもしれないし、フロイトやカフカやアウグスティヌス…etc、複数の書き手による別々の文体が多く引用され、文章の情景やリズムが不規則に変化していくので随分と時間がかかったが、大筋の「小説とは何か」の輪郭がゆっくりと見えてくる感覚はとても素晴らしい読書体験となった。読書を通して読み手が「受動的」から「能動的」へと変化していくのを読みながら実感として感じられるはずだ。そして小説を通して、言葉を通して、他者を通して、読んでいる、見ている、感じているのは「小説」という主語とイコールで結ばれた「わたし」である、ということに気がつく。多数の付箋がついた本だが、下にそのいくつかを引用しておく。引用文を読んで多少なりとも心に引っ掛かるものがあったなら、この本を楽しめると思う。まったく楽しめないタイプの読者もいるだろうし、それは「いい/わるい」「わかる/わからない」のように二極分化して語ることではないのだがしかし——これ以上は判断に任せる。
小説とはまず、作者や主人公の意見を開陳することではなく、視線の運動、感覚の運動を文字によって作り出すことなのだ。作者の意見・思想・感慨の類はどうなるのかといえば、その運動の中にある。
言葉遣いやセンテンスの長短やテンポは、いったん書き上げた段階でいくらでも直すことができるけれど、文章に込められた要素——つまり情景に込められた要素——はそういうわけにはいかない。小説にはいったん書き上げたあとに修正可能な要素と不可能な要素があり、修正不可能な要素が小説世界を創る、というか作者の意図をこえて小説をどこかに連れていく。
批評家・評論家・書評家の仕事は「読む」ことだと思われているがそれは間違いで、彼ら彼女らの仕事は「書く」ことだ。音楽や絵が言葉で語れないのと同じように、彼ら彼女らは書くものが、自分が読んだ小説と別物にしかなりえないことを承知で、それについて仕事として「書く」。仕事にしないで「読む」人がいる。読者とはそういう人たちのことだ。
書くということは起源として、過去や死者に捧げる行為だったのではないか。過去や死者を称え、称えるだけでなく自分たちの記憶に刻み込み、そうすることで過去の出来事や死者の言動がさらに力を増す——キリストと呼ばれる人の言動のように——。書くとはそういう行為だったのではないか。
私小説の書き手には「この私を見てくれ」という願望が休みなく働いていて、その願望がその人の書くものを私小説たらしめていて、その願望が成就されるかぎり、どんなに悲惨な境遇に突き落とされているとしても救いがそこにある——(中略)自分はとことん無力でそれに対して周囲は圧倒的な力を握っている。この力学は私小説なんかではなくて、カフカなのではないか。
「谷崎賞までとっちゃったらもうほしい賞はないでしょ。何を目指して書いているんですか」ということを、無邪気に言ってくる人がいるのだが、賞ほしさに小説を書いているわけではない。そんなことではなくて、小説を書いていればそのあいだだけ開かれることがあるから書くのだ。「開かれる」「見える」「感じられる」……人によって言葉はそれぞれだろうが、小説を書いているときにだけ開かれるものがある。
哲学をマンガでわかりやすく解説したり、名作文学のあらすじを読めるようにしたりすることが、初心者のための入口となって、将来それに没入する人を生む助けとなるという考えがあることは知っているけれど、そういうものに変形した時点で肝心なものが消えているのだから役に立たないと私は思う。
形だけの小説は、「述語を根拠づける」力を持った主語になることができず、「孤独になることすらできない現代人を取り囲むコミュニケーションの現状が書かれている」とか、「幼年期に受けた虐待がトラウマとなって、主人公とその周囲にいる人たちの人生を狂わせた」というような、小説を読む前から読者がよく知っている言葉をなぞるだけで批評が足りてしまうような、「述語に根拠づけられる」小説にしかなれない。
小説は外の何ものによっても根拠づけられることのない、ただ小説自身によってのみ根拠づけられる圧倒的な主語なのだ。本当の自由とはここにある。そして、現代人の息苦しい気分は主語よりも述語が力を揮っていることに由来しているのではないか、という推測がここから生まれる。
小説は、読者の精神を寝かさないためにあるものなのだ。
冒頭でわたしは文章を読みながら情景を映像として出力しながら読みすすめる、と書いたが、自分がどちらのタイプの読み手なのか知るには、次に書いた二つの文章を黙読して、要する時間を計ってみるといい。マインズ・アイ [単行本]からの引用
- 先頭を行く牛が落としたばかりの、まだ湯気が立っている糞に肢を取られながら、乳房を重たい鐘のように揺らして牛の群が歩いていた。牛の息が静かな霜の降りた空気に立ちのぼり、昇る朝日のりんとした輪郭をかすませた。最後の牛が、肢の間に突進してきた茶色のねずみを蹴り上げた。
- 比較的やせた高地の方が、牧羊は盛んだった。だが、牧羊の収益は徐々に薄くなり、牧草地も次第に野生の状態に戻りつつあった。隣町からやって来る訪問客は喜んだが、牧羊で生計をたてる農家にしてみれば、これは悲劇以外の何ものでもなかった。
文章を読むのに、イメージで考えるタイプの人は(1)を読む方に時間がかかり、言葉で考えるタイプの人では、(1)の方がやや早く読める。また、イメージで考える人の場合、言葉で考える人と比べて文章を読むのに、2〜3割余計に時間がかかる。
イメージで考えるタイプの人は情景描写を読むときに余計に時間がかかり(不慣れな映像を出力しなければいけないため)、言葉で考えるタイプは不慣れな映像を出力させずに読みすすめている。これをふまえたうえで「いい文章」とはなにかを考えると、イメージで考える読者にとっては、情景描写の箇所になっても、他のところとだいたい同じ速度でひっかかりなく読める文章で、言葉で考える読者にとっては、情景描写を映像出力させなくても困らずに読める文章ということになる。
2013年05月14日
疵―花形敬とその時代 (ちくま文庫) 読んだ。グラップラー刃牙に登場する人気キャラクター花山薫のモデルとなった人物——花形敬。
戦後焼け野原となった渋谷において、暴力団安藤組の幹部として裏社会で最も恐れられた男。絶頂期の力道山すら逃げ出したという。日本刀や拳銃など武器を持った相手にも決して怯まず、あくまでステゴロ(素手喧嘩)を貫き通した花形の生き様には、たしかに男が惚れる華があった。
(現)住吉会常任相談役(住吉一家石井会会長)石井福造(以下石井)は花形敬との付き合いが長く、その口から語られる当時の回想はまるで漫画の世界だ。石井は当時不良のエリート学校国士舘で番長を務めていた。当時、国士舘の悪名は都内に響き渡っていて、いっぱしの不良でさえ国士舘の名前を耳にしただけで怖じ気づくほどだったが、花形敬は怯む事なく石井を呼び出した。裏山に呼び出された石井は軽い気持ちで呼び出しに応える。石井もまた喧嘩慣れしており、腕っぷしには自信があった。併しそこに立っていた花形敬の姿に圧倒される。この時分、花形敬はまだ中学生だったが既に身長は180を越えていた。一目で格の違いを悟った石井は、花形敬が眼鏡を外し、睨んできたその瞬間、降参したという。中学生にして学生はおろか、渋谷を歩けば暴力団ですら逃げ出した。
花形敬は日頃から「俺を拳銃なんかで殺すことはできねえぞ、機関銃じゃなきゃ」と言って歩いていたが、この言葉が虚構から現実に塗り変わる日が来る。暴力団2人組が花形敬を殺すため渋谷の街中で襲った。銃弾は二発花形敬に命中し、その場に倒れた。2人はついに花形を倒し、酒場で祝杯をあげていたが、のちに青ざめる事となる。花形敬は救急車で病院へ運ばれたがすぐに、看護師の目を盗んで脱走。その足で酒場で酒を浴び、囲っていた女を呼びつけてから旅館へ行き、女を抱いた。女を抱き終えるとすぐに街に戻り、先程のチンピラ2人組を探し始めた。2人組は拳銃で花形敬を殺るのは無理と諦め、殺されることを恐れ警察に出頭、殺人未遂罪を主張し檻の中へ逃げた。
石井が日本刀を持ったチンピラ10人に囲まれた時、タイミング良く花形敬が通りかかり、素手で日本刀10本に勝った。
花形敬に殴られると人は3m吹っ飛んだ、など。
エピソードはどれもこれもぶっ飛んでいて面白い。
併し今のご時世どれほど花形敬の伝説を語ったとしても、暴力の話は受け入れられない。
ここで時代の流れを重ねて考えてみたい。
どんな時代であったのか、ざっくり言うと。
花形敬が中学生の時分、日本は戦争で負けた。戦時中は軍国主義の教えであったが、敗戦後は全てが崩壊した。教科書で不適切な箇所を塗り潰しながら授業は進められた。想像してみてほしい。思春期に今まで教えられていた価値観が180度変わるのだ。信じられるのは、自分の力だけとなるのも不思議ではない。
また、敗戦後の渋谷は、辺り一面焼け野原だった。渋谷駅周辺は闇市場となった。そこで勢力を拡大していったのは在日朝鮮人グループと台湾人グループだ。とりわけ台湾人グループの勢力は日に日に増していった。渋谷駅に凱旋門を作りはじめたのを機に、撤去命令を警察が出すもこれに反発し、台湾人数百人と警察数百人が衝突。GHQが介入したが勢力は衰えなかった。敗戦国である日本は立場も弱くGHQも本格介入しづらい状況だった。警察が必要としたのは暴力団だった。これにGHQも目を瞑る事で合意した。
今では想像つかないかもしれない。日本人のアイデンティティは崩壊し、街では戦勝国として在日朝鮮人や台湾人が駅周辺を占拠し、闇市場で勢力拡大が進む。銀シャリ(白米)すら手に入らず、闇市場では握り飯を高いカネ払って在日から買わなければいけない。甘いものがほしくなれば白人に「ギブミーギブミー」と涎垂らしチョコレートをねだるのだ。女どもは生き延びるために白人に色目を使いズベ公と化す。白人は鼻の下伸ばし、夜の盛り場でズベ公両手に抱えてダンス・ダンス・ダンス、といった塩梅だ。敗戦国とはそういうもんだ。
戦後の混乱の世の中で日本人は目標を見失っていた。
人は誰しも自我に目覚めるころ、身近なものを手にとり自己表現をする。
暴力で自己表現なんてものは誉められたものではないが、花形敬はあくまでステゴロ(素手喧嘩)を守った。石井の証言では、今の暴力団幹部連中で花形敬に殴られていない者はいないという。そして2度殴られたことがある者もいない。自分より下には決して手を出さなかったのだ。
花形敬はほんとうに不思議な男だ。暴力の世界において、負けたことは当然、恥なのにも関わらず、皆が口を揃えて花形敬に殴られたと嬉々として語るのだ。
わたしもまた、暴力反対と言いながらも、花形敬という伝説の喧嘩師について嬉々として語ってしまう。花形敬の物語、男達におすすめします。
疵―花形敬とその時代 (ちくま文庫) [文庫]
2013年05月13日
コンクリートに咲いたバラ [単行本]
説明不要のラッパー2PACの詩集を買いました。
見開き左頁は2PAC自身がノートに書いた直筆の詩、右頁が日本語訳という構成です。
アメリカの学校では推薦図書にも選ばれるほど、2PACの詩は高く評価されています。
ノートの端にちらほら書かれている2PACの絵がまた味わい深い。
飾っておきたい良書。
2013年05月12日
車谷長吉の赤目四十八瀧心中未遂を読んで、続けて手に取ったのが漂流物 (新潮文庫) 。赤目と並ぶ傑作で、「話」としては赤目四十八瀧心中未遂が良かったし「文学」としては漂流物が良かったのですが、一貫してゴミ人間である車谷先生の、ひらきなおりの懺悔が続いて、読み手は告解部屋の神父よろしく赦す選択肢しか与えられないままに本を閉じる、といった流れは、もはや日本文化の様式美のように思います。西村賢太先生の作品群にも同じようなことを感じますが、思春期にこのような先生方に出会わずに年を重ねることが出来たのは、ほんとうに幸運だったのだなあ、と思うのです。やはり思春期は思春期らしく、宗田理先生の「ぼくらの七日間戦争」で軽くこじらせて、清く正しく恥ずかしく、社会に反抗したいものです。
芥川賞候補に選ばれながらも落選した「漂流物」ですが、その理由に大江健三郎先生からは「理由なく少年を殺す。その展開には説得力がない。ウソくさい。」と評され、丸谷才一先生からは「筋の中心部にある子供殺しがリアリティがない。」と評されました。車谷先生は芥川賞がどうしても欲しかったようで、落選を知ると選考委員の名を刻んだ藁人形をこしらえて神社に足を運び、「死ねッ!天誅!」と呪いながら藁人形を木に打ちつけた。この出来事を作品として短編私小説「変」として発表する始末。先生のゴミっぷりが詰まった素敵なエピソードですね。次はその「変」が収録されている金輪際を読んでみようと思います。
芥川賞候補に選ばれながらも落選した「漂流物」ですが、その理由に大江健三郎先生からは「理由なく少年を殺す。その展開には説得力がない。ウソくさい。」と評され、丸谷才一先生からは「筋の中心部にある子供殺しがリアリティがない。」と評されました。車谷先生は芥川賞がどうしても欲しかったようで、落選を知ると選考委員の名を刻んだ藁人形をこしらえて神社に足を運び、「死ねッ!天誅!」と呪いながら藁人形を木に打ちつけた。この出来事を作品として短編私小説「変」として発表する始末。先生のゴミっぷりが詰まった素敵なエピソードですね。次はその「変」が収録されている金輪際を読んでみようと思います。