2013年01月

2013年01月30日

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二十歳のとき描いたものを、
自分が25歳だったらぜんぶ消しちゃうよね。
30歳でもぜんぶ消しちゃう。
でも、二十歳のときの絵を、
40歳の自分だったらうまく直せると思う。
30歳のときは10年前の自分の若さが
恥ずかしくて許せないと思うけど、
40歳になったら、それを残して、
違うところをいじることができると思う。
いま、ぼくはもう50歳だから、
いくらでも直せる(笑)。
いい感じに直せて、完璧なものに近づいていく。

これ、糸井重里さんの言葉なんだけど、以前どこかで、似たような言葉を見たなあ、でもなんだったかなあ、とずっともやもやしてたら、twitterのお気に入りの中で拾ってたのをみつけて繋がったぞ





「人は誰でも自分の青春を救済するために一生を費やす」
この一文に込めた佐々木幹郎さんも凄いし、丁寧に紐解いた糸井重里さんも凄い。
33歳の自分にとってはまだまだ恥ずかしくて引き出しの中に閉まっときたいことがたくさんあるんだけど、救済してやらないといけないんだなと、その事になるべく早く気付けると、人より数回多く直すことが出来て、完璧に近づけられるかもしれないね。意外にもじぶんの“恥ずかしいこと”ってのは、他の人からすると“おもしろいこと”で、それは喜んでもらえるもんだ。

座頭魄市orejiru at 22:18│コメント(0)トラックバック(0)真理  | このエントリーをはてなブックマークに追加

2013年01月18日

週も半ばのこんなクソ寒い木曜日の真っ昼間に、スーツ姿のサラリーマンが取っ組み合いの殴り合いをしているのを目撃しまして、それを車中安全圏から「いいぞ、もっとやれ」と双方応援しながらふと、最後に人を殴った日の事を思い出しました。

体罰問題のエントリーをよく目にする中、夜回り先生こと水谷修先生が先日書いた記事【私は、一度だけ体罰を生徒に与えたことがあります】を丁度読み終わりましたのでスピンオフっていうんですかね、かっこいい感じでいうと。

今から10年前の話です。わたしが最後に人を殴ったのは。
ジョーは問題児でした。ジョーとわたしは高校で出会ったのですが、入学当時からジョーは周囲の人間とはどこか違っていました。それは入学後、最初の美術の時間でした。美術の先生が最初に出した課題は隣の席の人間同士、互いを描くものでした。わたしはジョーを描きはじめました。何度もジョーを観察するうちに、ジョーに違和感を感じました。
ジョーはわたしをほとんど見ていないのです。その違和感は時間が経つにつれ確信に変わりました。彼はわたしを想像で描いている。パレットに目をやると、青色の分量が異常に多い。わたしは青い服など着ていないのに。ジョーと同じく真っ黒の学生服だというのに。黙々と描きながらジョーは何度か含み笑いをしていました。きもちのわるい青年だと嫌悪感を抱きました。
チャイムが鳴ると同時にわたしはジョーの描いた絵を奪い取りました。
案の定、きもちのわるい、例えようのないほどきもちのわるい、薄汚い絵でした。

青白い顔をした、ジョー目線でのわたしの絵をそのまま破り捨てようかとも思ったのですが、このようなきもちのわるい人間と接触するのは初めてという好奇心も手伝い、わたしは彼と交流をはかりました。というのも、わたしもひた隠してはいるものの、きもちのわるい人間ですのでジョーのこころの闇に共感する部分もあったのかもしれません。
放課後、ジョーを学校近くの山に誘い、小さな町を見下ろしながら語りました。ジョーとわたしはすぐに打ち解けました。わたしは小学生の頃、下着泥棒をしていました。バカでしたので1枚づつ盗めばばれないという発想しかなく、同じ家を狙いました。3枚目を手に入れてすぐに下着の持ち主から学校に通報されあえなく御用となり、泣きながら持ち主に謝ったのを思い出します。下着盗んで何がしたかったの?と問いただされ、さすがに履いてましたとは言えず、うつむいて泣くしかありませんでした。その話を聞いたジョーは笑いながら中学でブルマ黒ストッキングに手を出していた過去を語ってくれました。16歳の友情のはじまりなんてものは案外単純なものです。


ジョーとの交流は高校卒業後も続きました。二人で暮らしていた時期もあります。
それから20代前半。わたしたちは友人4人でタイへ旅行に行きました。わたしがジョーを殴ってしまったのはタイの旅行中でした。
わたしたちはその晩、ナナプラザに向かいました。ナナプラザは夜遊びスポットで、ゴーゴーバーと呼ばれているお店が連なる地。女性達の香水の香りと屋台の香草の香りと近くのどぶ川の匂い、ぎらついた白人の体臭や精液の匂いやらがごった煮となり、タイの熱風とともに鼻奥を刺激する歓楽所です。
ナナプラザでわたしは一人の女性に心を奪われました。その女性はファッション誌から飛び出してきたかのようなとても美しい女性でした。女性に見惚れていると、その女性はわたしの視線に気がつき手招きをしました。人形のような女性に操られるまま、わたしは女性の傍に立ちました。「店に来て。」そう耳元に囁き、わたしの手を取って店に案内されました。その店はオカマバーでした。わたしは混乱しました。一人では考えられず、女性に「また来る」と伝え一度店の外で待つジョーと仲間たちの元へ戻りました。わたしは仲間たちに恋におちたと正直に伝えました。二人の友人はとても嬉しそうでしたが、ジョーだけは違いました。ジョーはわたしの恋を真っ向から否定しました。「あれ男だぞ」わたしは彼の言葉の意味がわかりませんでした。わたしの考えではちんちんがついているかついていないかの違いは大した問題ではないですし、そもそも男が男に恋をするのは特別な問題ではないはずです。しかしジョーはわたしに追い打ちをかけるように捲し立てます。「あれ男だ。ありえねー」「改造人間だよ、きもちわりー」わたしは次第に怒りがこみ上げて来ました。「ジョー、そりゃ差別だよ。心は女なら女じゃないか」「いや、ありえねー。まじ無理だわ」「ジョー、男が改造して女になったんじゃない。女にたまたまちんちんがついてるだけだ。それならそのちんちんも女じゃないか。」言い争いはナナプラザの入口でヒートアップしていきました。熱量も沸点に達したところで「お前があれを女だっていうならお前もきもちわりーわ。」

私は、ジョーの胸ぐらを掴み、思いっきり殴りました。

「ジョー、なぜ分からないんだ、差別だって。お前が誰かを好きになって、その子にちんちんついていたらお前は冷めるのか?お前が人を好きになる感情はその程度か?」

ジョーもまた、わたしの胸ぐらを掴み、殴りました。

「フツーの人間ならちんちんついてたら冷めるだろ!」

周囲にいるたくさんの白人たちが、わたしたちを心配そうに見ていました。渋谷のハチ公口並の賑わいを見せるナナプラザの前でニッポンジン二人がちんちんちんちん連呼しながら殴り合っているのですから謎めくエイジアでしたでしょう。程なく、見守っていた友人二人が止めに入りジョーとわたしを引き離しました。その日は別々のトゥクトゥクに乗り込み、別々の方向、夜の街に向かったような気がします。翌日以降もちんちんがついている女については一切触れないよう互い気を使いながら過ごしました。ジョーが考えを改めてくれたのはそれから3年も後のことでした。3年がたち、ジョーはわたしに「なあ、最近おかまに興味あるんだよね」と告白してくれました。わたしはやっとジョーが理解を示してくれたことを喜ぶ反面、やっぱりきもちのわるい人間だと寒気がしました。わたしはおかまに興味あるわけではありません。たまたま、惚れた女がおかまだっただけです。また殴り合おうかとも思いましたが、ぐっと堪えて歓迎しました。

人を殴るのは決していいことではありません、正論です。
同時に、正論だけがいいことでもありません。ちんちんついてる女をバカにしないでください。
正論言うならちんちんついている女ってヘンですよ。絶対ヘンですよ。
でも少し、少しだけ興奮をおぼえるんです。それが大人なんです。


いま、なぜこのようなエントリを書きはじめたのかよくわからなくなってしまいました。着地点がありません。わたしの悪い癖ですので出直してきます。


※追記
この投稿を読んだジョーから連絡がありました。
「おれが手を出したのはブルマじゃない 黒ストッキングだ 訂正しろ」
訂正するまでもないだろうと思ったのですが、とても重要な事なのだそうです。
ブルマじゃだめだ、黒ストッキングじゃなければ意味がないのだと。
次会ったとき殴ります。



座頭魄市orejiru at 21:08│コメント(0)トラックバック(0)創作  | このエントリーをはてなブックマークに追加

2013年01月15日

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ピッケのつくる絵本






ピッケのつくる絵本というアプリがこどもにクリティカル。
期間限定SALE中で600円。
正直おとなが楽しむには絵柄が少なく自由度が低いのですが
こどもにちょうどいい自由度。
ほんとにちょうどいい。

現在4歳の息子は見開き2ページで完結してしまい
ストーリー性をつけるためには親のナビが必要。
(ストーリーはあるらしいが、ページに分けて落としこんでいくのは難しいみたい)
でもまだ口出ししてほしくないように見えるので
時間をかけて息子作の絵本を作ろうと思います。

数字、アルファベット、ひらがな、カタカナを一通り全て覚えられたばかりなので、読むのも自分の言葉を残すのも楽しくてしかたないようで、はまってくれてます。上手に頭の中をアウトプット出来るようになってほしーなと願ってます。



わたしも絵本を作りました。
大人が読むものでもないけど、折角作ったんでシェアします(笑)

iPadの素晴らしさを再確認出来たアプリでした。

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http://pekay.jp/iospla.php?n=1358219687xiq6

座頭魄市orejiru at 20:59│コメント(2)トラックバック(0)  | このエントリーをはてなブックマークに追加

2013年01月13日

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南 伸坊 みなみ・しんぼう(漫画雑誌ガロの編集長)✖糸井 重里 いとい・しげさと(コピーライター)二人の旅行 鎌倉編、日光編、東北編、東京編をまとめた旅行記 たそがれはすごく充実した読書体験でした。

黄昏 (ほぼ日ブックス)
黄昏 (ほぼ日ブックス)


人に薦められるかと問われると、薦めない(笑)じじい二人がおやじギャグ織り交ぜたくだらない話を延々としているだけで、それを2段組400頁ひたすら読まされるんだから、たまったもんじゃないよね(笑)
知的財産として手にするような本では決してないんだけど、たまにほら、夕暮れに染まる街見たり、海辺で波を眺めたり、公園でビール片手にハトに餌やったり、「なにしてんですか?」言われても困っちゃうような時間。物思いに耽るわけでもなしの方。わりかし頭空っぽなやつ。そんな時間が好きな人にはうってつけの本だと思います。繰り返しますがなんのためにもなりません(笑)

まさにたそがれ。
さすが糸井さん、いいタイトルつけますね。
憧れです。

中身の雰囲気を少しでも知りたい人に
お気に入りの会話を少し抜粋させていただきます。

糸井「おお、見てよ。ライダーたちが、東北道を行くよ」

南「おおー、たくさんいるね、『イージーライダー』風の人たちが」

糸井「そういう趣味の人たちだよね」

南「ああいう、うしろにふんぞり返って、長ーいハンドルを高い位置に持つスタイルは『イージーライダー』で認知されたよね」

糸井「そうかもしれない。いまも、けっこう見かけるよね」

南「あの姿勢、疲れるんじゃないかと思ったら、けっこう、ラクなんだってね。」

糸井「あ、そうなんだ」

南「うん。人間の姿勢として、正しいらしい。こんなふうに、前屈みになってバイクでしがみついてるよりも」

糸井「へえ。」

南「漢方の先生が言ってたよ

糸井「『イージーライダーは体にいいんです』って言ってた?」

南「体にいいっていうか、リラックスできるポーズなんだって。なんとかいうポーズなんだよ。なんていったかな。セイタイイ、かなんか。」

糸井「セイジョウイ」

南「セイジョウイは違う」

糸井「ともかく、イージーライダーは体にいいと。」

南「いいらしいよ。あの、『オバケだぞ!』みたいな形は。リラックスするらしい」

糸井「それでオバケもあの姿勢なんだね」

南「なんかね、焼死体とかね、どざえもんとかも、結果的に、ああいう格好になるらしい



こんなくだらない話が延々と続きます。
素晴らしい黄昏時の時間を。

座頭魄市orejiru at 02:50│コメント(0)トラックバック(0)  | このエントリーをはてなブックマークに追加

2013年01月10日

あたらしい年になりまして

2013年は脱めがねを掲げてみようかというおもいがふつふつと湧き出てきまして、めがねを脱いでみました。めがね一年生のあの頃は“おしゃれ感覚”で始めたもんです。中学生でいうところのたばこ、高校生でいうところのコピーバンド、大学生でいうところの大麻と同じ心理状態でしょうか。

さてめがねを脱いでみて改めて周囲をのぞいてみれば、あれ不思議なもんでまったく見えない。気がつけば風呂場か布団の中でしかめがねを脱がないほど依存してたんです。

視力1.5、からの急落0.2、なう。
写真であるなら「あら、いいボケ具合ですね」なんて言ってもらえるが、
目玉のF値が0.2なんぞ誰得か。

よくよく考えてみると、なぜめがねが推奨されるのでしょうか
視力が悪い状態でいるとどんどん視力が落ちるなんて話、本当ですか?
めがねで視力が戻った話はひとつも聞こえてこないじゃないですか。
レーシックの失敗談はめがね利権を持つ者の流したデマだったりして。
これはめがね屋のビジネス戦略?!




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※注 ちきりんではない


いいえ。

めがねはドラッグです。
最初は気がつきません。
わたしはいつだってやめられる。
すこし好奇心でつけてみただけなのに
すこしの間世界を覗いてみようと思っただけなのに
それなのに少しづつそれは蝕んでいき
いつのまにかそれなしでは生活も困難な状態になるんです。

めがねはドラッグです。
早く気がつくべきです。
看板に書いてあるんですよ。
メガネはドラッグですよ、と。


最近ニュースで耳にするようになった脱法ドラッグという言葉
なぜ若者は脱法ドラッグに手を染めてしまうんでしょうか。

正直に言うと
わたしはそんな若者を冷ややかな目で見ていました。
でもね、あの若者達も罪の意識はなかったんでしょう。
現にわたしはめがねをやる事に罪の意識はありませんでした。
恥ずかしい話ですが、、、

誰に迷惑をかけるわけでもない!いいじゃないか。
飽きたらやめる!いいじゃないか。
なんかかっこいい!いいじゃないか。

それが今じゃご覧の有様。
めがねが無ければ駅の運賃一覧が読めない。
人に聞かなければ運賃も分からない、ほら迷惑をかけてる。
めがねが無ければ運転が出来ない。仕事の作業効率も極端に落ちる
わたしが仕事をしてるんじゃない。もうめがねが仕事してる。

みんなわたしは大丈夫、そう思うんです。
そのめがねを脱いでみて。
裸眼では生活困難なら、あなたはもう立派なめがねジャンキー。


今は法律的にも認められています。
けれども、近い将来、指定薬物として“めがね”が指定されるでしょう。

その時になって慌てないよう
今のうちに心の準備なりしておいた方がいいかもしれません


そんじゃーね。



座頭魄市orejiru at 23:27│コメント(0)トラックバック(0)真理  | このエントリーをはてなブックマークに追加
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